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本朝廿四孝

本朝廿四孝』(ほんちょうにじゅうしこう)は、浄瑠璃及び歌舞伎日本舞踊の演目のひとつ。全五段の時代物。明和3年(1766年)1月14日より大坂竹本座にて初演。近松半二・(三好松洛)らの合作。角書に「武田信玄長尾謙信」。通称「廿四孝」。

楊洲周延画「竹のひと節 本朝廿四孝 狐火」(3枚揃大判錦絵)

概要

甲陽軍鑑」の長尾家武田家の争いに取材し、長尾家の八重垣姫と武田家の勝頼を許嫁にし、斎藤道三の陰謀や山本勘助の活躍をからめ、諏訪湖を渡る霊狐伝説[1] や中国の二十四孝故事なども織り交ぜた複雑な筋書をもつ[2][3]近松門左衛門の『(信州川中島合戦)』(「川中島の戦い」を題材にしたもの、1721年8月竹本座初演)などを参考にしている[2]。3段「勘助住家」,4段「謙信館 (十種香・奥庭) 」が有名[3]

 
新形三十六怪撰二十四孝「狐火之図」月岡芳年
 
諏訪法性兜と八重垣姫(木曽街道六十九次之[4] 内・下諏訪 八重垣姫 歌川国芳画)

勝頼の恋人として創作された八重垣姫(上杉謙信の娘という設定だが、武田信玄の娘菊姫がモデルとされる)は、「(祇園祭礼信仰記)」の雪姫、「鎌倉三代記」の時姫と並んで「三姫」としてつとに知られる[2]。八重垣姫が勝頼に危険を知らせようと祈りを捧げる「法性の兜」は現存しており、諏訪湖博物館に複製品が展示されている[5]

2022年10月21日と22日に、諏訪神仏プロジェクトのイベントで、岡谷市照光寺を会場としてユネスコ無形文化遺産である人形浄瑠璃文楽の「本朝二十四孝 奥庭狐火の段」が本作ゆかりの地である諏訪地域で初めて演じられた[6]

あらすじ

越州(長尾家)に生まれた八重垣姫は、室町幕府の調停により敵対する甲斐武田家武田勝頼の許嫁とされる。しかし両家には武田信玄秘蔵の「法性の兜」を長尾謙信が所望して預かったまま返そうとしないなど争いが絶えなかった。ある時勝頼は将軍暗殺事件の濡れ衣を着せられ自害させられてしまう。許嫁の死を聞き、十種香((組香)の)をたいて回向していた八重垣姫は、父謙信に召し抱えられた花作り簑作(実は真の勝頼、自害したのは身代わり)を見て激しく恋慕する。謙信は勝頼の正体を見抜き、討手を向けるが、姫はその危急を救うため、奥庭から兜を盗み出し、これを守護する霊狐の狐火に導かれて湖水を渡る。濡衣(勝頼をめぐる恋のライバル)の父関兵衛は、実は将軍を暗殺した真犯人である斎藤道三で、いままた将軍の後室を鉄砲で撃つが、濡衣が身代わりになって死に、それまで不和とみせた武田・長尾両家の働きによって、謀反の陰謀が破れる[7]

演者

文楽
歌舞伎
八重垣姫役
武田勝頼役
長尾謙信役
山本寛助役
横蔵役
越路役
濡衣役
人形遣い役

派生作品

書籍
  • 守随憲治校注『本朝廿四孝』近松半二 岩波文庫1939
絵師

美術作品ギャラリー

脚注

  1. ^ “[https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/Z0688-2-030 二十四孝狐火之図 「ArtWiki」]”. 立命館大学アート・リサーチセンター. 2020年12月10日閲覧。
  2. ^ a b c 本朝廿四孝『文楽浄瑠璃物語』竹本住太夫 著 (正文館書店, 1943)
  3. ^ a b 本朝廿四孝  - コトバンク
  4. ^ 渓斎英泉歌川広重による「木曽街道六十九次」とは違う
  5. ^ 諏訪法性の兜 - 歌舞伎用語案内
  6. ^ 諏訪神仏プロジェクト・SUWA×文楽『本朝二十四孝 奥庭狐火の段』
  7. ^ コトバンク「本朝廿四孝」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説参照

関連項目

外部リンク

  • 本朝廿四孝〜十種香・奥庭狐火(歌舞伎 on the web)
  • 本朝廿四孝『日本戯曲全集. 第二十八卷』渥美清太郎 編, 校訂 (春陽堂, 1933)
  • 1900年録音の義太夫節「本朝廿四孝 十種香の段」 - フランス国立図書館蔵、日本の歌の世界初の音源としてパリ万博時に収録されたもので、八重垣姫の「魂返す反魂香、名画の力もあるならば、可愛とたった一言のお声が聞きたい、聞きたい」の一節が歌われる(1分50秒より)
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