概要
1468年(応仁2年)、本寺は蓮如上人によって創建された。創立当時は土呂(現在の福岡町)にあった。蓮如上人に続いて、第九世実如も本宗寺を拠点として三河門徒教化につとめ、四男の実円を本宗寺の初代住職に任じた。
三河一向一揆(1563年~1564年)の際、徳川家康は本願寺門派の寺院道場をことごとく破壊。本寺も永禄7年(1564年)2月28日に焼失した。家康は「国内宗門御停止」を命じ、寺の住職は他の地に移った。その後、石川家成の母で家康の叔母である妙西尼の再三の嘆願によって、天正13年(1585年)12月に宗門再興の赦免状が発せられ、本宗寺は復興を許された。
1611年(慶長6年)、現在の地(美合町)に移転。幕府より75町歩を与えられる。この寺領は明治維新後に国有化され、現在は愛知県立農業大学校の敷地となっている[1]。
交通手段
脚注
参考文献
- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、333頁。
- 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、94頁。
外部リンク
- 本宗寺ホームページ