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本多 忠明(ほんだ ただあき)は、播磨国山崎藩第9代(最後)の藩主。官位は従五位下、正四位、(肥前守)。政信系本多家10代。
生涯
第8代藩主・本多忠鄰の次男として誕生した。幼名は鑑三郎。
明治2年(1869年)正月晦日、父の隠居で家督を継ぐ。同年の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。同年9月、東京に移った。1876年(明治9年)11月13日に隠居し、家督は弟の(忠禎)が継承した[1]。明治34年(1901年)12月17日、69歳で死去した。法号は実想院殿真誉義山大居士。墓所は兵庫県宍粟市山崎町上寺の大雲寺。
栄典
系譜
- 父:本多忠鄰(1811年 - 1874年)
- 母:不詳
- 室:不詳
- 男子:(本多忠銓)
経済学者の三木谷良一は曾孫。楽天創業者の三木谷浩史は玄孫である[3][4][5][6]。
- 本多忠明―本多忠銓―三木谷昌子―三木谷良一―三木谷浩史
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。