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本多 忠国(ほんだ ただくに)は、江戸時代前期の大名。大和国郡山藩、陸奥福島藩を経て播磨姫路藩の藩主。忠勝系本多家宗家6代。
生涯
陸奥守山藩主・松平頼元の次男に生まれる。水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、2代藩主・徳川光圀の甥にあたる。大和国郡山藩主本多政長の養子となり[1]、政長死後、家督相続と同時に福島15万石に転封、その後姫路15万石に転封となる。
藩主在任中に死去し、家督は三男の忠孝が継いだ。
経歴
官位位階
系譜
┏政朝━政長 ┃ 本多忠政━┫ 松平頼元 ┗亀姫 ┣本多忠国 ┣━嘉禰 小笠原忠真
父母
正室
- 池田綱政の娘
子女
- 本多忠孝(三男)
長男、次男は早世
墓所・霊廟
逸話
赤穂浪士吉田兼亮の娘婿伊藤治興が家臣にいる。1703年(元禄16年)に吉田兼亮の遺児吉田兼直(幼名は伝内)が連座して伊豆大島へ遠島となると、幕府に許可されている持ち込み上限の金20両・米20俵のぎりぎりに近い、金19両米19俵を伝内に贈って支援している。