朝倉 景行(あさくら かげゆき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。朝倉氏の家臣。越前国北庄城主。北庄朝倉家6代当主[1]。北庄に居館していたことから、北庄土佐守と称した[2]。
略歴
(朝倉景範)の子として生まれる。『朝倉系図』によれば、景行の祖は朝倉教景(朝倉孝景の祖父)の弟、遠江守頼景で、この頼景の代より北庄氏を称したという[2]。
永禄11年(1568年)、織田信長が足利義昭を奉じて上洛した際、朝倉義景にも上洛を命じたが、景行は義景の上洛に反対したため、義景は上洛しなかったという。元亀元年(1570年)、信長が敦賀郡に侵攻して金ヶ崎城を攻めたとき、景行は二千余騎を率いて義景に従軍した[1]。