魏晋南北朝時代
427年(始光4年)、北魏が夏の統万城を平定すると、その地に統万鎮を置かれた。487年(太和11年)、統万鎮が夏州と改められた。夏州は化政郡・(闡熙郡)・(金明郡)・(代名郡)の4郡9県を管轄した[1]。
北魏の末年、夏州は宇文泰の根拠地とされた。
隋代
隋初には、夏州は2郡5県を管轄した。583年(開皇3年)、(金明郡)が延州に移管された。隋が郡制を廃すると、夏州の属郡の弘化郡は廃止された。606年(大業2年)に長州を統合し、夏州は5県を管轄した。607年(大業3年)、郡制施行に伴い朔方郡と改称され、下部に3県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
618年(武徳元年)、唐により朔方郡は夏州と改められた。742年(天宝元年)、夏州は朔方郡と改称された。758年(乾元元年)、朔方郡は夏州と改称された。夏州は朔方・徳静・寧朔・長沢の4県を管轄した[3]。
宋代以降
北宋のとき、夏州は李継遷の根拠地とされたが、李元昊が西夏を建国すると、首都は興慶府に移された。
元のとき、夏州は廃止された。