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略歴
代々室町幕府に仕える家に生まれ、自身も足利義晴・義輝父子に仕える[1]。のち永禄12年(1569年)足利義昭が織田信長の支援で入京するとこれに馳せ参じ、若狭国内に所領を与えられる。また信長からも山城・摂津・河内国内の水陸過書の認可を得た。天正元年(1573年)信長と対立した義昭の槇島城籠城に従い、義昭が若江城に落ちた時もこれに従った。後年、豊臣秀吉に仕えて所領を給付された。
脚注
参考文献
- 「寛政重修諸家譜」巻第538