» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

智頭往来志戸坂峠越

座標: 北緯35度12分33秒 東経134度19分43秒 / 北緯35.20917度 東経134.32861度 / 35.20917; 134.32861

智頭往来志戸坂峠越(ちづおうらいしとさかとうげごえ)は、鳥取県八頭郡智頭町駒帰にある。2008年5月21日、国史跡に指定された。

智頭往来志戸坂峠越
智頭往来
志戸坂峠越
( )
位置

概要

智頭往来は、岡山県境の志戸坂峠を越えて鳥取城下と姫路城下を結び、因幡地方から大坂・京都へ至る主要街道であり、鳥取県側では上方街道、京海道、美作道とも呼ばれた。古代以来の主要街道で、承徳3年(1099年)2月に因幡国守の平時範が任国に赴任する際に、志戸坂峠で行われた「境迎え」の儀式が日記『時範記』に記録 されていることでも著名である[1]

近世には鳥取藩の参勤交代道となり、藩によって一里塚が築かれ、宿駅が置かれ、整備・維持されていた。鳥取城大手門(中の御門)前に架かる擬宝珠橋のたもとが領内里程の起点で、享保11年(1726年)の『因幡国大道筋里数』によれば、藩境の志戸坂峠までの里程は10里8町49間(約40.2km)で、参勤交代の 場合は約1日半の行程であった。鳥取藩は、初代藩主池田光仲が慶安元年(1648年)に入国して以来、文久2年(1862年)までの214年間に、智頭往来経由で178回参勤交代した[1]

志戸坂峠手前の智頭宿は、鳥取発の場合は最初の、江戸発の場合は最終の宿泊地であった。智頭町内の街道沿いには、往来の安全を願う大日如来や地蔵等の近世石仏、廻国記念碑等の近世石造物が数多く残されており、繁栄の名残を今にとどめている[1]。智頭往来は、明治19年(1886年)に改修され、昭和40年代の国道昇格に伴う道 路改修によって、往時の面影の多くを失ったが、国道からはずれた市瀬地区、智頭宿、篠坂付近、中原付近、樽見(大字福原)、駒帰の6箇所は面影を良くとどめている。現在も農林業や生活用の道路として利用されており、遺存状態は良好であり、地元住民を中心として維持管理、保存活動が行われている[1]

昭和63年度に鳥取県教育委員会によって文化庁補助事業「歴史の道調査事業」が行われ、平成10年度から18年度にかけて智頭町教育委員会により「歴史の道整備事業」が実施された。遺存状態の良好な中原地区、樽見(大字福原)地区、駒帰地区において、道の補修、脱色鋪装、階段設置、案内板・説明板・標識の設置、ベンチ・東屋の設置等の整備が行われた[1]

智頭往来志戸坂峠越は、鳥取城下と姫路城下を結ぶ鳥取藩の参勤交代道でもあった主要街道のうち、整備の完了した区間であり、境界の確定された中原地区、樽見地区、駒帰地区の約2.5kmの古道が史跡に指定されている[1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁(一部改変). 2021年2月3日閲覧。
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。