生涯 永楽7年(1409年)に昭容(嬪)となり、後に貴妃にいたった。人に対してとても優しく、永楽帝に信頼された。晩年の永楽帝は怒りを抑えられなくなっていて、多くの者が過酷な処罰を受けたが、太子(のちの洪熙帝)以下、誰もが彼女の庇護を頼った。
永楽18年(1420年)7月に死去した。永楽帝はその死を悼み、昭献と諡された。『朝鮮王朝実録』によると、永楽帝は王氏を皇后に立てることを考えていた。王氏の死後、永楽帝はその残虐さに拍車がかかった。
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