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昭和18年台風第26号

昭和18年台風第26号(しょうわ18ねんたいふうだい26ごう)は、1943年9月に四国に上陸した台風である[1]。この時代の台風には、まだ国際名が付けられていなかった。

概要

1943年9月14日正午頃、サイパン島の東で台風26号が発生。当初台風は西北西に進んだが、沖縄の南方で北北東に進路を変え、発達しながら南西諸島に沿って北上し、20日正午頃に高知県宿毛付近に上陸。四国中国地方を横断して鳥取付近から日本海に抜け、衰弱しながら北東に去った[2][3]

その際、19日頃から日本に接近し停滞していた秋雨前線が、台風の(暖湿気)によって刺激されて台風上陸前から活動が活発化し、台風前面に豪雨をもたらした。大分県や宮崎県、鹿児島県鳥取県島根県などでの被害が特に大きかった[3][2]

被害

島根県では19日から20日にかけて、県内の各地で局地的に(期間中の)降水量が300〜500mmに達し、斐伊川や江川、浜田川周布川などの氾濫により流域の大半が浸水した。浜田町(現浜田市)では20日午前8時、(浜田大橋)より下流において右岸全域が浸水し、午前11時から市街地の大半が濁流に襲われた。17時頃になると水深は1.96mになり、床上浸水が相次いだ。波佐村(現浜田市)では19日から21日までの3日間の降水量が585.7mmに達し、これにより氾濫と山崩れが発生した。また、三隅町(現浜田市)では相次いで山崩れが起き、200人以上の死者が出た。こうして浜田地方を中心に大きな被害となり、島根県内全域で死者・行方不明者448人、住家損壊(全壊もしくは半壊)3523棟、住家流失1463棟、住家の床上浸水2万棟以上の甚大な被害がもたらされた[3]

大分県では、佐賀関町(現大分市)での1日の雨量が800mmを越える(818mm)など、南部を中心に600mm前後の大雨が降り、国東半島においても大野川が氾濫し鶴崎町(現大分市)では町全域が浸水したほか、臼杵町(現臼杵市)の平清水では全戸が軒先まで水に浸かるなどし、大分県全域で死者・行方不明者296人、住家全壊694棟、住家半壊1735棟、住家流失577棟、住家床上浸水1万3144棟という大規模な被害となった[3]

宮崎県では、北部山地での雨量が900mmになるなど県内全域で大雨となり、死者・行方不明者115人、住家全壊及び流失1075棟、同床上浸水9361棟となっている[3]

中央気象台編の「(気象災害年表)」によると、被災地全体の被害は、死者・行方不明者970人、負傷者491人。住家全壊6574戸、住家半壊1万1878戸、住家流失3135戸、住家浸水7万6323戸[注 1]となっている。このほか、道路の決壊が9938か所、堤防の決壊3250か所、田畑の流失及び浸水が1225㎢、船舶の流失・沈没・破損は830隻に及んだ[3]

雨による被害が大きかった原因は、9月上旬からの雨によってこれらの地域での地盤が緩んでいたことや、当時は戦争遂行のために、軍需用造船用材・同鉱石増産のための坑道用杭木、石油・石炭に変わる薪炭用材などの需要を増やすため、山林が乱伐されたことなどであるとされている。また、兵役による工事労働者の不足や、軍需優先のため資機材不足となり河川の改修が遅れたり放置されたりしたことも、被害を拡大した要因だといわれている[3]

注釈

  1. ^ 床上浸水と床下浸水の合計

出典

  1. ^ “”. web.archive.org (2020年7月3日). 2020年8月14日閲覧。
  2. ^ a b “過去の災害の被害状況”. 呉市. 2020年8月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g “台風関連記事”. 2020年8月14日閲覧。
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