『星雲』(せいうん)は、1954年(昭和29年)12月に創刊された日本で最初のSF雑誌である。1号のみで終わったが星雲賞に名前を残している。
概要
『星雲』は1954年12月に森の道社から発行された。発行人は第二次世界大戦前に『科學ペン』誌に小説や随筆を寄せていた太田千鶴夫で、森の道社の事務所も太田の自宅だった[1]。表紙には「科学小説雑誌」「Science Fiction」と銘打っていた。A5版172ページ[2]。編集スタッフとして、太田の他に矢野徹、木村生死らが名を連ねた[3]。
創刊号に収録された作品は、ロバート・A・ハインラインやジュディス・メリルらの翻訳短編が中心となっている[2]。
刊行された当時は星新一や小松左京、筒井康隆ら日本SF界の重鎮はまだデビューもしていない時代で、『星雲』発行人の太田千鶴夫は同時に1954年10月に設立された日本科学小説協会の理事長も兼ねており、誌面で趣意書を掲載し、科学小説の創作を行う会員の募集も行われていた。役員には矢野徹や原田三夫らの名も連ねられていて[4]、読者だった柴野拓美はこれに応募したが、同協会のその後の活動はなかったという[5]。
第2号からは翻訳権を取得したオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」の連載を予告していたものの、取次とのトラブルにより創刊号のみで廃刊となった[3]。1号のみに終わったが、日本SFの歴史における最初期のSF専門雑誌として評価され、廃刊後も日本SF大会の席上で参加者の投票により前年度の優秀なSF作品に授与されるSF賞「星雲賞」として名を残している[2]。
原本は稀少本となっており、大部分は日本国外のSFマニアの手に渡っている[6]。
掲載作品
- ロバート・A・ハインライン「地球の山々は緑」((雅理鈴雄)訳)
- クリス・ネビル「ヘンダーソン爺さん」(矢野徹訳)
- ジュディス・メリル「ああ誇らしげに仰ぐ」((レイモンド・吉田)訳)
- S・アレフレイヨーフ「試射場の秘密」
- (地球緑山)((木村生死))「失われた地球爆弾」
- (横堀純夫)「虹の入り江」
- 千代有三「白骨塔」
- 木村生死「文学としての科学小説」
- 小堀憲「エヴァリスト・ガロア」
- 香山滋の随筆