日根野 吉雄 ひねの よしかつ 元和元年 1615年 正保2年12月15日 1646年1月31日 は 江戸時代前期の武士 下野国壬生藩および豊後国府内藩の世嗣 日根野吉明の長男 母は大給松平一生の娘 正室は稲葉一通の娘 初名は雅行 通称は次右衛門 壬生藩 のち府内藩 の嫡子として生まれるが 家督を相続することなく正保2年 1645年 に31歳で早世した 死因については自害したと伝わる 法名は松翁浄