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施政方針演説(しせいほうしんえんぜつ)とは、内閣総理大臣が国会で一年間の政府の基本方針や政策についての姿勢を示すために行われる演説である。
本項では日本の国会におけるものについて説明する。地方議会では首長が行い「提案理由説明」などと呼ばれる演説で、施政方針演説あるいは所信表明演説と概ね同様の方式で所信や県政・市政などの課題、議案提出理由についての演説が行われることが多い。
日本の国会における施政方針演説
日本の国会の場合は原則として通常国会の冒頭で内閣総理大臣が本会議場で行う演説を施政方針演説といい、衆議院と参議院の本会議場でそれぞれ行われる。施政方針演説をはじめとする政府の演説は、日本国憲法第72条「内閣総理大臣は一般国務及び外交関係について国会に報告する」を根拠として行われ、施政方針演説や所信表明以外でも随時、国務や外交関係について、本会議で発言を求めることができる。
内閣総理大臣の施政方針演説は明治憲法下に於いて1890年(明治23年)に召集された第1回帝国議会の衆議院本会議(1890年12月6日)の席上で第3代内閣総理大臣山縣有朋が行ったのが最初で[1]、それ以後慣例化している。なお、1953年(昭和28年)6月以前は臨時国会の冒頭など現在では所信表明演説として扱われる演説でも施政方針演説とされていた[要出典]。
また、施政方針演説に引き続いて行われる外務大臣の外交演説、財務大臣の財政演説、経済財政政策担当大臣の経済演説を合わせて政府四演説と呼ぶ。議席を持つ各会派はこれら四演説に対して後日代表者1名が代表質問(一般質問)を行う。
海外では、立憲君主制を採用している国において君主が政府の方針を議会で読み上げるケース(国王演説)が多いが、ひとたび天皇の口から発せられた言葉に対して異議を差し挟むことがはばかられがちな日本では帝国議会時代を含めてそのような例はない[要出典]。
日本国憲法下において施政方針演説を行わなかった例
日本国憲法下において内閣総理大臣の施政方針演説が行われなかったケースは過去に3度ある。
- 首相である吉田茂が7月のマッカーサー勧告による国家公務員法及びその関係法規の制定を実行すればいつでも施政方針演説を行う用意はあるとして、施政方針演説を見送った状態で国会の実質審議に入った。野党が施政方針演説の実施を要求したものの、国会会期終了の11月30日まで施政方針演説は行われなかった。
- 1983年12月18日に第37回衆議院議員総選挙が行われたため、通常国会召集の詔書が取り消され[注 1]、総選挙後の特別国会を「通常国会に代替する国会」に位置付けて会期を150日間とし、第二次中曾根康弘内閣が発足した後に施政方針演説が行われた。
- 1990年1月24日、国会開会式翌日に第一次海部俊樹内閣に於いて衆議院を解散したため。なお、施政方針演説は第39回衆議院議員総選挙後の第118回特別国会召集後、第二次海部俊樹内閣が発足した後の3月2日に行われた。
施政方針演説における出来事
- 1957年2月4日、第26回通常国会では脳梗塞で倒れて療養中の首相石橋湛山に代わり、首相臨時代理である岸信介が登壇・演説した。岸は施政方針演説の後、兼摂する外務大臣として外交演説も引き続いて行った。
- 2000年1月28日、第147回通常国会では衆議院定数削減を定めた公職選挙法改正案を巡る当時の与党(自由民主党、公明党、自由党)による強行採決に抗議し、野党が小渕恵三首相の施政方針演説を始めとする政府四演説を実施するための本会議出席を拒否する事態が発生した。
施政方針演説の一覧
元号 | 年月日 | 国会 | 施政方針演説 をした首相 |
---|---|---|---|
昭和 | 1947年7月1日 | 第1回国会 | 片山哲 |
1948年1月22日 | 第2回国会 | ||
1948年3月20日 | 芦田均 | ||
1948年12月4日 | 第4回国会 | 吉田茂 | |
1949年4月4日 | 第5回国会 | ||
1949年11月8日 | 第6回国会 | ||
1950年1月23日 | 第7回国会 | ||
1950年7月14日 | 第8回国会 | ||
1950年11月24日 | 第9回国会 | ||
1951年1月26日 | 第10回国会 | ||
1951年10月12日 | 第12回国会 | ||
1952年1月23日 | 第13回国会 | ||
1952年11月24日 | 第15回国会 | ||
1953年1月30日 | |||
1953年6月16日 | 第16回国会 | ||
1954年1月27日 | 第19回国会 | ||
1955年1月22日 | 第21回国会 | 鳩山一郎 | |
1955年4月25日 | 第22回国会 | ||
1956年1月30日 | 第24回国会 | ||
1957年2月4日 | 第26回国会 | 岸信介[注 2] | |
1957年11月1日 | 第27回国会 | ||
1958年1月29日 | 第28回国会 | ||
1958年9月30日 | 第30回国会 | ||
1959年1月27日 | 第31回国会 | ||
1960年2月1日 | 第34回国会 | ||
1960年10月21日 | 第36回国会 | 池田勇人 | |
1961年1月30日 | 第38回国会 | ||
1961年9月28日 | 第39回国会 | ||
1962年1月19日 | 第40回国会 | ||
1963年1月23日 | 第43回国会 | ||
1964年1月21日 | 第46回国会 | ||
1965年1月25日 | 第48回国会 | 佐藤栄作 | |
1966年1月28日 | 第51回国会 | ||
1967年3月14日 | 第55回国会 | ||
1968年1月27日 | 第58回国会 | ||
1969年1月27日 | 第61回国会 | ||
1970年2月14日 | 第63回国会 | ||
1971年1月22日 | 第65回国会 | ||
1972年1月29日 | 第68回国会 | ||
1973年1月27日 | 第71回国会 | 田中角栄 | |
1974年1月21日 | 第72回国会 | ||
1975年1月24日 | 第75回国会 | 三木武夫 | |
1976年1月23日 | 第77回国会 | ||
1977年1月31日 | 第80回国会 | 福田赳夫 | |
1978年1月21日 | 第84回国会 | ||
1979年1月25日 | 第87回国会 | 大平正芳 | |
1980年1月25日 | 第91回国会 | ||
1981年1月26日 | 第94回国会 | 鈴木善幸 | |
1982年1月25日 | 第96回国会 | ||
1983年1月24日 | 第98回国会 | 中曽根康弘 | |
1984年2月6日 | 第101回国会 | ||
1985年1月25日 | 第102回国会 | ||
1986年1月27日 | 第104回国会 | ||
1987年1月26日 | 第108回国会 | ||
1988年1月25日 | 第112回国会 | 竹下登 | |
平成 | 1989年2月10日 | 第114回国会 | |
1990年3月2日 | 第118回国会 | 海部俊樹 | |
1991年1月25日 | 第120回国会 | ||
1992年1月24日 | 第123回国会 | 宮沢喜一 | |
1993年1月22日 | 第126回国会 | ||
1994年3月4日 | 第129回国会 | 細川護熙 | |
1995年1月20日 | 第132回国会 | 村山富市 | |
1996年1月22日 | 第136回国会 | 橋本龍太郎 | |
1997年1月20日 | 第140回国会 | ||
1998年2月16日 | 第142回国会 | ||
1999年1月19日 | 第145回国会 | 小渕恵三 | |
2000年1月28日 | 第147回国会 | ||
2001年1月31日 | 第151回国会 | 森喜朗 | |
2002年2月4日 | 第154回国会 | 小泉純一郎 | |
2003年1月31日 | 第156回国会 | ||
2004年1月19日 | 第159回国会 | ||
2005年1月21日 | 第162回国会 | ||
2006年1月20日 | 第164回国会 | ||
2007年1月26日 | 第166回国会 | 安倍晋三 | |
2008年1月18日 | 第169回国会 | 福田康夫 | |
2009年1月28日 | 第171回国会 | 麻生太郎 | |
2010年1月29日 | 第174回国会 | 鳩山由紀夫 | |
2011年1月24日 | 第177回国会 | 菅直人 | |
2012年1月24日 | 第180回国会 | 野田佳彦 | |
2013年2月28日 | 第183回国会 | 安倍晋三 | |
2014年1月24日 | 第186回国会 | ||
2015年2月12日 | 第189回国会 | ||
2016年1月22日 | 第190回国会 | ||
2017年1月20日 | 第193回国会 | ||
2018年1月22日 | 第196回国会 | ||
2019年1月28日 | 第198回国会 | ||
令和 | 2020年1月20日 | 第201回国会 | |
2021年1月18日 | 第204回国会 | 菅義偉 | |
2022年1月17日 | 第208回国会 | 岸田文雄 | |
2023年1月23日 | 第211回国会 |
脚注
注釈
出典
- ^ “官報號外 『衆議院第一回通常會議事速記録第四號』” (PDF). 内閣官報局 (1890年12月7日). 2018年4月6日閲覧。