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方向・社会民主主義

方向・社会民主主義またはスメルスロバキア語: SMER-SD, SMER-sociálna demokracia)は、スロバキア共和国社会民主主義政党スロバキア共和国国民議会の第2党で、社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナル加盟政党である。本項では前身の「方向」(スメル、Smer)についても述べる。

スロバキア共和国の政党
方向・社会民主主義
SMER-sociálna demokracia(SMER-SD)
党首 ロベルト・フィツォ
成立年月日 1999年11月8日
国民議会
38 / 150   (25%)
(2020年2月29日)
政治的思想・立場 中道左派社会民主主義
国際組織 社会主義インターナショナル
欧州社会党
公式サイト SMER-sociálna demokracia
欧州議会の会派は社会民主進歩同盟所属
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概要

方向(SMER)

1999年に発足した第一次ミクラーシュ・ズリンダ政権に連立与党として加わった社会民主主義政党、民主左翼党(SDĽ : Strana demokratickej ľavice)副党首のロベルト・フィツォが同年12月、自らの処遇への不満と、ベネシュ布告の廃止を求める少数民族政党のハンガリー人連立党(SMK : Strana maďarskej koalície)が同じ連立与党として政権に加わったことへの反発から同党を離党し、自らが党首となって結成した政党である(11月8日政党登録)。

Smerはスロバキア語で「方向」または「道標」を意味する。結成当初は経済政策における立場を明確にせず、既存の政治勢力の不正・腐敗を批判しつつ、フィツォの個人的カリスマに依拠する形で支持率を拡大。この間、自党のキャッチフレーズとして"tretia cesta"(第三の道)という名称を用いた。

2002年国民議会選挙では得票率13.45%で23議席を獲得、第三党となった。この選挙でほかの中道左派政党が軒並み全滅したことから、次第に政治的立場を中道左派路線にシフトした。

方向・社会民主(SMER-SD)

中道左派路線を明確にしたSMERは2004年12月、社会民主主義政党のSDĽ、社会民主オルタナティブ(SDA : Sociálnodemokratická alternatíva)、スロバキア社会民主党(SDSS : Sociálnodemokratická strana Slovenska)などの社会民主主義系の諸政党を吸収し、党名を「Smer-SD」(方向・社会民主主義)に変更した(2005年1月18日政党登録)。社会民主主義路線を明確に打ち出し、欧州連合加盟国の社民主義政党や労働運動組織で構成する欧州政党欧州社会党加盟候補政党となった。

2006年国民議会選挙では得票率を倍増の29.14%とし、50議席を獲得して第一党となった。選挙後、民族主義政党のスロバキア国民党(SNS : Slovenská národná strana)およびポピュリスト政党の人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)と連立し、フィツォが首相に就任した。排他的ナショナリズムの立場を取るSNSと連立政権を組んだことから、欧州社会党は2008年2月までSMER-SDの加盟候補資格を停止した。

2010年国民議会選挙では、得票率34.79%で前回を上回る62議席を獲得し、引き続き第一党の座を確保した。しかし連立相手の人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS)が議席阻止条項である5%の得票率を得る事ができず議席をすべて失い、SNSも改選前の20議席を大きく下回る9議席にとどまって共に惨敗。過半数を維持できなくなった。フィツォは選挙後、規定に基づきガシュパロヴィッチ大統領から首相指名を受けたものの、第二党のスロバキア民主キリスト教連合・民主党(SDKÚ-DS)など中道右派4党がSMER-SDとの連立を拒否[1]したため、代わってSDKÚ-DS副党首のイヴェタ・ラジチョヴァーによる中道右派連立政権が発足し、SMER-SDは野党に転じた。

欧州金融安定化ファシリティ(EFSF)機能拡充条約批准支持の見返りとして2012年3月10日に繰り上げ実施された国民議会選挙では83議席を獲得、スロバキア議会選挙で初めて単独過半数を制することに成功した[2]。4月4日、フィツォを首相とするSMER単独政権が発足した。

2013年11月(9日と23日投票)に行われた統一地方選挙では、県議会で161議席(前回2009年選挙は138議席)を獲得、ブラチスラバ県を除いた全ての県議会で第1党の座を確保。県知事では全8県中6県でSMER派の知事を当選させた[3]

2016年3月5日の国民議会選挙では、第一党の地位は保ったものの選挙前の83議席を大幅に下回る49議席を獲得するに留まった。その後の政党間交渉の結果、国民党、モスト=ヒード(架け橋)、ネットワークの三党と連立政権を樹立することで合意が成立し、3月23日に第三次フィツォ内閣が発足した[4]

2020年2月29日の2020年国民議会選挙では、方向・社会民主主義党議員とマフィアの関係を追っていたジャーナリストのヤン・クツィアクが2018年2月に婚約者とともに殺害された事件により、国民の信頼が損なわれたことにより、11議席も減らされ、与党の座を「普通の人々・独立した人達」(OLaNO)を第1党とする右派連立政権に明け渡すこととなった[5]

脚注

  1. ^ "Pravicová štvorka povedala Ficovi nie"(4つの右翼政党はフィツォを拒否すると言った) PRAVDA紙電子版、2010年6月13日付
  2. ^ “スロバキア総選挙で中道左派が単独過半数確保”. 読売新聞. (2012年3月11日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120311-OYT1T00550.htm 2012年3月11日閲覧。 []
  3. ^ “在スロバキア日本国大使館 政治・経済月報(2013年11月)” (PDF). 在スロバキア日本国大使館 (2013年11月). 2014年4月11日閲覧。
  4. ^ “在スロバキア日本国大使館 スロバキア政治・経済月報(2016年3月)” (PDF). 在スロバキア日本国大使館 (2016年3月). 2016年9月20日閲覧。
  5. ^ エッカート・デアシュミット (2020年3月5日). “総選挙で連立与党が大敗、第1党の中道右派政党に組閣を委任へ(スロバキア)”. 独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ). 2020年5月23日閲覧。

参考文献


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