斉 耀琳(せい ようりん)は清末民初の政治家。北京政府時代において地方官職を歴任した。字は震巖。弟は同じく清末民初の政治家である斉耀珊。
事績
1895年(光緒31年)、乙未科進士となり、翰林院庶吉士を授かった。以後、1905年(光緒31年)に安徽按察使、1909年(宣統元年)に直隷提法使を歴任する。
1911年(宣統3年)に江蘇布政使に任命されたが、直ちに河南布政使に変更された。辛亥革命勃発後の同年12月、河南巡撫に任命された。
1912年(民国元年)3月、河南都督に任命された。しかしまもなく、中央の塩務大臣に異動した。1913年(民国2年)6月、吉林省民政長に転任する。翌年7月には江蘇巡按使に任命された。袁世凱が皇帝に即位した1915年(民国4年)12月、一等伯に封じられた。
1916年(民国5年)6月、江蘇省長(巡按使から改名)に引き続き任命される。1917年(民国6年)7月、一時的ながら、江蘇督軍代理をつとめた。1920年(民国9年)9月、省長を辞職した。
これ以後の、斉耀琳の動向は不詳である。