概要
山門のすぐ横に延命地蔵堂があるが、この堂を基に開山したのが当院だといわれている[1]。
当院は、俗に「智恵寺」「出世寺」といわれている。これはこの寺に赴任する住職等が、程なく大寺院に栄転することから、そう呼ばれるようになった。しかし、そのことが災いし、寺院運営が迷走したことで檀家の減少を招き、大正時代まで寺運衰微してしまった。昭和期になってようやく寺勢が回復してきた[3]。
寺宝等
墓所
- 遊郭「大盛かわ」の楼主によって建てられた。
交通アクセス
脚注
- ^ a b c d e 板橋区公式ホームページ.
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 下板橋宿.
- ^ 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、29-33p
参考文献
- 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
- 馬場憲一 著『板橋区史跡散歩 (東京史跡ガイド19)』学生社、1993年
- 「下板橋宿 文殊院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763977/35。
- “文殊院のご案内”. 板橋区公式ホームページ (2020年1月25日). 2020年11月8日閲覧。