文室 益善(ふんや の ますよし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・皇族。名は益吉とも記される。当初益善王を名乗るが、臣籍降下後の姓は清原真人のち文室真人。一品・舎人親王の後裔と考えられる[1]。官位は従五位上・(豊前守)。
経歴
承和13年(846年)正月に従五位下に叙爵し、(筑後守)に任ぜられる。2月には興岑以下9名の子女が、藤坂王・御藤王の子女と共に臣籍降下し清原真人姓を与えられる。
仁寿3年(853年)従五位上・大蔵大輔に叙任されるが、翌仁寿4年(854年)には(摂津守)として再び地方官に転じる。斉衡3年(856年)6月に清原真人姓を与えられて臣籍降下するが、同年11月には早くも文室真人姓に改姓している。