敦道親王(あつみちしんのう、天元4年(981年) - 寛弘4年10月2日(1007年11月14日))は、平安時代中期の皇族・歌人。冷泉天皇の第四皇子[1]。母は藤原兼家の娘・超子。三条天皇の同母弟。官位は三品・大宰帥。
概要
外祖父の兼家に、兄である三条天皇に次いで寵愛された。正暦4年(993年)に元服し、加冠を左大臣源雅信、理髪を參議藤原公任が務める[2]、のちに帥宮(そちのみや)と称された。最初の妃は関白・藤原道隆の三女であったが、道隆の死後に離婚した。
兄・為尊親王の死から1年後の長保5年(1003年)、彼の生前の交際相手である和泉式部と恋愛関係となり、同年12月18日より和泉式部を召人として邸に住まわせたことから、正妃である藤原済時の娘の怒りを買い、のちに離婚する。寛弘3年(1006年)ごろ、和泉式部との間に男子(岩蔵の宮:後に出家して(永覚)と名乗る)を儲けるも、間もなく為尊親王同様に若くして薨去した。
登場作品
映像
歴史番組
脚注
注釈
出典
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
関連項目
- 『和泉式部日記』