押小路 甫子(おしこうじ なみこ)は、江戸時代後期から明治時代にかけての女官、著作家。大外記(押小路師武)の養女。孝明天皇幼時の(御乳人)を務め、のち孝明朝の大御乳人。日記『大御乳人甫子記』や、随筆『大御乳人甫子雑記』を著した。
経歴
文化5年10月7日(1808年11月24日)、左大史の(壬生知音)の次男(壬生正路)の娘として生まれる[1]。初名は満子[1]。その後、大外記の(押小路師武)の養女となる[1]。(壬生家)と押小路家は、共に「地下官人の棟梁」とされ、下級実務官僚の首座とされた家格である[2]。
天保6年(1835年)7月、仁孝天皇第四皇子の煕宮(後の孝明天皇)の儲君(御乳人)(おちのひと、乳母)となる[1]。東宮御乳人を経て、弘化3年(1846年)2月、孝明天皇が受禅し、大御乳人(中級女官である命婦の次席)となる[1]。慶応3年(1867年)1月、明治天皇践祚に伴って大御乳人を辞すが、明治4年(1871年)6月まで前大御乳人として勤仕した[1]。隠居女官名は椹木[1]。
明治17年(1884年)9月12日、数え77歳(満75歳)で死去[1]。
その日記『大御乳人甫子記』全25冊は、安政6年(1859年)から明治4年(1871年)までの職務記録を記した貴重史料[1]。『大御乳人甫子雑記』全3冊と合わせ、大部分は『日本史籍協会叢書』に『押小路甫子日記』として所収されている[1]。