戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ、1792年(寛政4年) - 1819年(文政2年)5月3日(旧暦4月10日))は、上総国埴生郡(現在の千葉県茂原市綱島[1])出身の元大相撲力士。本名は井桁 秀五郎(いけた しゅうごろう)。
来歴
1792年(寛政4年)に上総国埴生郡で生まれる。1808年(文化5年)10月場所において松江藩の抱え力士として初土俵踏むと、いきなり西小結に付け出される。数え年17歳(満16歳)での三役となり、記録に残る三役昇進年齢としては史上最年少記録である。しかしこれには、義父だった相撲会所頭取・錣山喜平治の強い意向があったと伝わる[2]。その特別待遇ぶりに仲間から妬まれたせいか成績は振るわず、僅か4場所で前頭へ転落、1815年(文化12年)から1817年(文化14年)までは江戸を離れて大坂相撲に加入していた。これらの心労から体調を崩し、1819年(文政2年)4月場所開催直前だった4月10日に死去、28歳没。
主な成績
- 通算成績:39勝67敗53休3分2預1無 勝率.368
- 幕内成績:37勝59敗53休3分2預1無 勝率.385
- 小結成績:6勝12敗21休1無 勝率.333
- 現役在位:17場所
- 幕内在位:16場所
- 小結在位:4場所
改名歴
- 戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ):1808年10月場所 - 1813年2月場所
- 戸田川 吉五郎(とだがわ きちごろう):1814年4月場所 - 1814年11月場所
- 戸田川 秀五郎(とだがわ ひでごろう):1817年10月場所 - 1818年3月場所7日目
- 錣山(しころやま):1818年3月場所8日目 - 同場所千秋楽
- 錣山 秀五郎(しころやま ひでごろう):1818年10月場所 - 1819年4月場所(没後だったが、番付上は全休扱いで記載)
脚注
- ^ “千葉県出身の幕内力士”. 千葉県ホームページ. 2020年2月25日閲覧。
- ^ http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/6/0011.htm 記録の限界(大相撲 記録の玉手箱)
出典
- “錣山 秀五郎(戸田川 鷲之助より改名) 力士情報”. 相撲レファレンス. 2012年3月18日閲覧。