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生涯
寛政4年(1792年)12月10日、第8代藩主・正親の長男として生まれる。寛政8年(1796年)の父の死去により家督を継ぐ。藩財政を再建するため、文政元年(1818年)に国産方を設置して織物業の奨励・振興に尽力し、(亀絞織)を創始した。そのほかにも困窮者の救済にあたっている。
文化11年(1814年)に、家臣の八柳極人による(八柳騒動)が発生し、八柳極人、(馬之丞)父子を斬罪に処している[1]。
天保11年(1840年)3月18日、家督を次男・正令に譲って隠居した。
しかし正令が天保14年(1843年)に早世したため、孫の正実を第11代藩主となし、自らは幼少の正実を補佐している。安政5年(1858年)7月13日に死去した。享年67。
系譜
父母
- 戸沢正親(父)
- 美直院 ー 側室(母)
正室
側室
- 八重
- 菊之江
- 花枝
子女