成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 2007年11月17日)は、日本の俳人。青森県青森市出身[1]。本名は力[2]。青森工業学校(現・青森県立青森工業高等学校)卒業[1]。上京して富士航空計器株式会社に就職するが、肺結核に罹患し帰郷[1]。闘病中に句作を始める[3]。(高松玉麗)らの俳句結社「松濤社」、(吹田孤蓬)らの青森俳句会に参加[要出典]。1946年より母の実家のある五所川原市に移住し[3]、以後その地で農業を営みながら俳人として活動する[3]。
戦後は「暖鳥」創刊を経て、中村草田男主宰の「萬緑」に創刊より参加し[1]、草田男に師事する[1]。青森県在住のまま1988年「萬緑」の選者に就任し、2001年より主宰。2005年より読売俳壇選者。青森県文芸協会理事長も務めた。青森高校時代の寺山修司の俳句指導を行なっていたことでも知られている。[要出典]
受賞歴
著書
参考文献
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- 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年
脚注
外部リンク
- 現代俳句人名事典における成田千空の俳句(現代俳句協会)
- 成田千空の句の鑑賞(増殖する俳句歳時記)
- 注目の作家6 成田千空(青森県近代文学館)