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慈恩寺 (さいたま市)

慈恩寺(じおんじ)は、埼玉県さいたま市岩槻区大字慈恩寺にある天台宗の寺院である。山号は華林山。院号は最上院。本尊は千手観世音菩薩であり、この寺は坂東三十三観音第12番札所である。また、当寺を由来として大字慈恩寺の地名がある。

慈恩寺じおんじ

(本堂正面 2009年8月17日)
所在地 埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139[1]
位置 本堂
北緯35度58分46秒 東経139度42分38.8秒 / 北緯35.97944度 東経139.710778度 / 35.97944; 139.710778 (慈恩寺)座標: 北緯35度58分46秒 東経139度42分38.8秒 / 北緯35.97944度 東経139.710778度 / 35.97944; 139.710778 (慈恩寺)
玄奘塔
北緯35度58分33.95秒 東経139度42分42.1秒 / 北緯35.9760972度 東経139.711694度 / 35.9760972; 139.711694 (慈恩寺玄奘塔)
山号 華林山[2]
院号 最上院[2]
宗派 天台宗[2]
本尊 千手観世音菩薩[1]
創建年 天長元年 (824年[1]
開基 慈覚大師(円仁[2]
正式名 華林山 最上院 慈恩寺
別称 慈恩寺観音
札所等 坂東三十三観音 第12番[3]
文化財 南蛮鉄灯籠、慈恩寺文書
法人番号 6030005002693
慈恩寺
慈恩寺 (埼玉県)
(テンプレートを表示)

歴史

 
玄奘塔

この寺は、天長年間(824年 - 834年円仁の開山によって創建されたと伝えられる天台宗[2]1590年天正18年)関東に入部した徳川家康から翌1591年(天正19年)に寺領を寄進されている。江戸時代に入ると江戸幕府のほか岩槻城主からも帰依を得た。日中戦争時の1942年昭和17年)12月に日本軍南京で発見した玄奘の遺骨の一部が戦後この寺に奉安されることとなり、1953年(昭和28年)5月に十三重の花崗岩の石組みによる霊骨塔・「玄奘塔」が落慶。

1955年(昭和30年)に日台友好のため、台湾に分骨され、現在は日月潭玄奘寺に奉安されている。1981年(昭和56年)には、玄奘の属する法相宗薬師寺にも分骨されており、現在は境内の玄奘三蔵院に奉安されている。

文化財

  • 南蛮鉄灯籠[4]
    • さいたま市指定有形文化財(工芸品)昭和35年4月1日指定
    • 天正17年(1589年)建立。伊達与兵衛房実が寄進したもの。
  • 慈恩寺文書[5]
    • さいたま市指定有形文化財(古文書)昭和49年9月26日指定

交通アクセス

隣の札所

坂東三十三観音
11 安楽寺 (埼玉県吉見町) -- 12 慈恩寺 -- 13 浅草寺

関連項目

脚注

参考文献

  • 「慈恩寺村 慈恩寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ202埼玉郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):764007/91。 
  • “慈恩寺”. さいたま観光国際協会. 2021年3月22日閲覧。
  • “文化財紹介 南蛮鉄の灯籠”. さいたま市. 2021年3月22日閲覧。
  • “文化財紹介 慈恩寺文書”. さいたま市. 2021年3月22日閲覧。

外部サイト

  • “華林山慈恩寺”. 公式サイト. 2021年3月22日閲覧。
  • 坂東札所会サイト
  •   ウィキメディア・コモンズには、慈恩寺 (さいたま市)に関するカテゴリがあります。
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