歴史
釈賢秀の父が開山を企図していたが果たせず、子の賢秀の代になってようやく開山にこぎ着けた。元々は別の地にあったが、1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失してしまったため、現在地に移転した。
戦時中の金属類回収令によって梵鐘を供出したが、後にこの梵鐘が鋳潰されることなく、埼玉県深谷市の(応正寺)にあることが判明したため、1999年(平成11年)に当寺に返還された[1]。
寺宝等
墓所
- 平田家
- 打物師(平田三之助)として知られる。初代から7代までの墓である[1]。
- 美幾女(日本最初の献体者)
交通アクセス
- 後楽園駅より徒歩15分。
脚注
参考文献
- 小石川仏教会「小石川の寺院」刊行委員会 編『小石川の寺院(上巻)』小石川仏教会、2002年