旧制徳島高等学校 (きゅうせいとくしまこうとうがっこう) は、徳島県に設立された官立の旧制高等学校。
概要 - 第二次世界大戦中の空襲で設備を失い、1947年3月に 「B級」 と判定された旧制徳島医学専門学校 (徳島医専) の第3・4学年在籍生徒を救済するために設置された、いわゆる「(戦後特設高等学校)」である (一方 第1・2学年は 「A級」 と判定され、徳島医専は1948年2月に旧制徳島医科大学に昇格した。A級B級判定については、旧制医学専門学校を参照)。
- 修業年限3年の高等科 (理科乙類のみ) を設置した。
- 学生寮として 「徳風寮」 (とくふうりょう) が設置された (徳島医専から継承)。
- 学制改革により新制徳島大学に包括された。
沿革 旧制徳島医学専門学校 (当該記事参照) は第二次大戦中に軍医速成を目的として設立されたが、1945年7月の空襲で附属医院を失い、戦後の1947年3月、第3・4学年部分が B級と判定された。第3・4学年在籍生徒は他の医専に転校したが、経済的理由で転校できない生徒もいた (当時 四国唯一の医専だったため、転校するには四国から出る必要があった)。これらの生徒を救済する目的で、官立徳島高等学校が設立された。
- 1947年5月14日: 官立徳島高等学校設置 (政令第43号)。
- 3学年が同時に入学 (第2・3学年には徳島医専の第3・4学年在籍者を収容した。第1学年には、徳島医専第1・2学年から希望者が入学した)[1]。
- 1948年以降の生徒募集はなく、入学は 1947年のみ。
- 1948年2月10日: 旧制徳島医科大学設置。徳島医専と共に包括される。
- 1949年5月31日: 新制徳島大学設置。
- 旧制徳島医大・旧制徳島医専・旧制徳島高等学校は他の旧制高等教育機関と共に包括された。
- 1950年3月31日: 旧制徳島高等学校、廃止 (法律51号)。
歴代校長 - 初代:中田篤郎 (1947年5月 - 1950年3月)
- 旧制徳島医学専門学校校長・徳島医科大学学長・新制徳島大学 初代学長と併任。
校地の変遷と継承 旧制徳島医学専門学校に併置された (当該記事参照)。学生寮 (徳風寮) は同校から引き継いだと考えられ、寮歌は 2曲ほど存在が確認されている。[2]
著名な出身者脚注 [脚注の使い方]
- ^ 入学者数は、『徳島大学医学部五十年史』 によれば 59名。『旧制高校物語』 によれば、1948年度の在籍者は 73名。
- ^ 横浜市・大倉山の大倉精神文化研究所附属図書館の旧制高等学校文庫にも寮歌資料が収められている。
関連書籍 - 徳島大学医学部五十年史編集委員会(編) 『徳島大学医学部五十年史』 徳島大学医学部、1993年11月。
- 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、文藝春秋刊、2003年12月。(ISBN 4166603558)
関連項目外部リンク - 徳島大学
- 徳島高等学校寮歌 - 「疾風怒濤の館」
- 徳風寮寮歌 - 「 - ウェイバックマシン(2005年1月11日アーカイブ分)」
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