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徐寛煕

徐寛煕(ソ・グァンヒ、-1997年)は、朝鮮労働党中央党農業担当書紀(秘書)だった人物。金正日の意を受けた張成沢によって、粛清された(深化組事件)。

経歴 

1996年から1997年にかけて天候不順と主体農法(北朝鮮式農業)の失敗で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では300万人規模ともいわれる餓死者が出た[1]1994年金日成死去後の、いわゆる「苦難の行軍」と呼ばれた時期である[2]

飢餓に苦しむ人びとは爆発寸前であり、農業を重視した金日成の死後、古参幹部の扱いにも困っていた金正日は、大粛清による政治攻勢を計画し、その責任者に義弟の張成沢を指名した[1]。張成沢は飢餓の全責任を徐寛煕に負わせるべく、彼を「ずっと身分を偽ってきた米国のお抱えスパイ」だとしてスパイ事件をでっちあげた[3]1997年の旧盆の日、徐寛煕は張成沢ら党幹部によって人民の党に対する不満を逸らすための生贄として平壌直轄市の人民裁判場に連行され、集まった群衆に投石をさせながら公開処刑におよんだ[3][4]。彼は人々の怒りのスケープゴートになってしまった[1][注釈 1]

あまりのことに、「もし本当に徐寛煕がアメリカ合衆国のスパイだったなら、金日成と一緒に農業部門の指導事業をしてきたこれまでの長い間、(いくらでもチャンスがあったのに)どうして彼は金日成を殺さなかったのだろう」という疑問をもつ者も当然あらわれた[3]。この頃から北朝鮮では食糧難というだけでなく、人間不信の念から「自分の背中も信じられないから背を下にして寝る」という言葉が生まれたという[3]

徐寛煕処刑を皮切りに、文聖述(ムン・ソンスル)中央党本部党書記が拷問でなぶり殺され、(徐允錫)(ソ・ユンソク)平安南道党責任書記が政治犯収容所に連行されるなど、秘密警察組織(深化組)による2万5,000名余を粛清・処刑の対象とした「深化組事件」が2000年まで継起した[1][2][注釈 2]

脚注

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ 徐寛煕の処刑(投石事件)は、彼をスパイだと「暴露」したのが平壌直轄市龍城地域の住民登録課長だったため「龍城事件」とも呼ばれた[3]
  2. ^ 深化組事件については、対南工作に当たっていた朝鮮労働党統一戦線部の元幹部で、実際にこの大粛清を現地で見聞した(張哲賢)が、脱北後、韓国発行の月刊誌にその全容を暴露している。

出典

  1. ^ a b c d 久保田るり子 (2012年1月14日). “”. 産経新聞. 2021年10月5日閲覧。
  2. ^ a b “金正恩委員長、父世代を総交代…先軍→先党に重心移動”. 中央日報(日本語版) (2017年11月22日). 2021年10月5日閲覧。
  3. ^ a b c d e リュウ・ギョンウォン (2008年5月22日). “私は政治犯収容所に10年いた”. アジアプレス・ネットワーク. 2021年10月5日閲覧。
  4. ^ “北朝鮮の3代世襲、血の粛清始まるか”. 東亜日報 (2009年6月5日). 2021年10月5日閲覧。

関連項目

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