歴史
- 1921年(大正10年)12月12日:国鉄の駅として仙北郡飯詰村に開業[1]。
- 1976年(昭和51年)4月1日:貨物・荷物扱い廃止[3]。無人化[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。当時は(簡易委託駅)であった[4]。
- 2012年(平成24年)
駅名の由来
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線ホームを有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。
2012年4月20日に、JR東日本は2013年に開催される秋田デスティネーションキャンペーンと、それに向けて2012年に開催されたプレデスティネーションキャンペーンを見据えて、秋田を訪れる観光客を綺麗な駅舎で迎えることを目指して、当駅の建て替えを行うことを発表した[8]。地元の美郷町との合築で行われ、2012年12月22日に供用開始された[5]。後三年の役古戦場であることにちなんで、武士の兜をイメージしている[5]。外観は回廊や連子窓などを設置し、白壁、黒格子、丸柱で落ち着いた雰囲気を表現している。駅舎内には、ギャラリーとして後三年の役を解説するパネルなどが展示されている。木造平屋建て42平方メートルで、駅施設、都市施設ともに21平方メートルある[5][6]。
のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
※3番線は上下双方の入線・発車に対応している。
駅周辺
- 秋田県道266号耳取後三年停車場線
- 秋田県道267号金沢吉田柳田線
- 後三年駅前簡易郵便局
- 後三年合戦金沢資料館[7]
- 美郷町雁の里複合温泉施設 湯とぴあ
- 雁の里山本公園
- (後三年スキー場)
- 平安の風わたる公園
- 道の駅美郷
隣の駅
脚注
- ^ a b “後三年駅開業式”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社): p.3 (1921年12月13日 朝刊)
- ^ a b “「通報」●奥羽本線柳田駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1976年4月1日)
- ^ “日本国有鉄道公示第2号”. 官報. (1976年4月1日)
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第10号、鉄道ジャーナル社、1987年8月、55頁。
- ^ a b c d e (PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道秋田支社、2012年12月18日。 オリジナルの2020年5月17日時点におけるアーカイブ2020年5月17日閲覧。 。
- ^ a b c 交通新聞2013年1月18日
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』通巻653号 p.33
- ^ (PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道秋田支社、2012年4月20日。 オリジナルの2020年5月17日時点におけるアーカイブ2020年5月17日閲覧。 。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 駅の情報(後三年駅):JR東日本