この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年9月) |
広橋 光成(ひろはし みつしげ)は、江戸時代後期の公卿。広橋伊光の孫、(広橋胤定)の子。官位は従一位。広橋家25代当主。
経歴
京都で誕生。寛政10年(1798年)2歳で従五位下、享和2年(1802年)元服し、従五位上。のち蔵人頭、左中弁、右中弁を歴任。文政7年(1824年)参議・右大弁、左大弁、文政11年(1828年)権中納言、弘化2年(1845年)正二位・権大納言と昇進を重ねる。
天保6年(1835年)議奏を経て、安政4年(1857年)武家伝奏となる。翌年、(条約勅許問題)では朝幕間の調停に努めた。その後も和宮降嫁などに腐心する。安政の大獄では処分を受けた。万延元年(1860年)11月23日、従一位。文久2年(1862年)准大臣に昇進するも、翌日に薨去した。
系譜
- 父:広橋胤定
- 母:葉室頼熈の娘
- 妻:飛鳥井雅之の娘
- 生母不明の子女
- 男子:広橋胤保(1819-1876)