平 行義(たいら の ゆきよし)は、平安時代中期の貴族。(桓武平氏)高棟流、参議・平親信の次男。官位は従四位下・武蔵守。
経歴
一条朝の長徳年間(995年-999年)(但馬権守)、長保年間(999年-1004年)武蔵守と地方官を務める。武蔵守以後の任官記録がなく[1]、散位であったと見られる。寛弘8年(1011年)一条上皇葬送の儀に参加した際の位階は五位であった。
三条朝の長和4年(1015年)禎子内親王の着袴の儀に於いて、左大臣・藤原道長に召し取らた際に横笛を一品式部卿・敦明親王に授ける。その演奏を聞いた右大臣・藤原顕光、大納言・藤原道綱は感涙したという[2]。長和5年(1014年)石清水祭臨時祭試楽に参じた際の位階は四位であった。
後一条朝の寛仁元年(1017年)6月12日に父・親信が疫病のため没すると、同年7月6日に行義も疫病により後を追うように(卒去)。
官歴
系譜
脚注
参考文献
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年