平岡 通倚 ひらおか みちより 生没年不詳 は 戦国時代の武将 河野氏の家臣 平岡房実の子 官位は遠江守 房実の後を継ぎ荏原城主となった 名は通房とも 伊予に侵入する各軍勢と戦火を交えた 天正13年 1585年 豊臣秀吉の四国征伐に対し 湯築城二ノ丸を守備したが落城 その後 秀吉の家臣となる 翌天正14年 1586年 には 九州出兵に従軍し 河野通直とともに安芸竹原に赴いた 墓は愛媛県松山市の浄瑠