歴史
後漢により設置された轑阿県を前身とする。西晋により轑陽県、南北朝時代に北魏により遼陽県と改称された。北周により廃止された。590年(開皇10年)に隋代により遼山県が設置されたが、唐代には遼州州治とされた。明代が成立すると洪武年間に廃止され、管轄区域は遼州直轄とされた。1912年(民国元年)の州制廃止に伴い遼県と改められたが、1942年(民国31年)に戦死した共産党員左権によって左権県と改称された。左権県のような「革命烈士」にちなむ地名には他に志丹県、子洲県、子長市、黄驊市、靖宇県、尚志市がある[1]。
行政区画
- 街道:城区街道
- 鎮:遼陽鎮、桐峪鎮、麻田鎮、芹泉鎮、拐児鎮
- 郷:寒王郷、石匣郷、竜泉郷、羊角郷