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歴史
- 1911年(明治44年)8月15日:河南鉄道の学校前(現在の富田林西口) - 滝谷不動間に、川西駅として新設開業[1]。
- 1919年(大正8年)3月8日:河南鉄道が大阪鉄道に社名変更、同社の駅となる[2]。
- 1920年(大正9年)
- 1933年(昭和8年)4月1日:川西駅に再改称[5]。
- 1943年(昭和18年)2月1日:関西急行鉄道が大阪鉄道を合併、同社長野線の駅となる[2]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併、近畿日本鉄道長野線の駅となる[2]。
- 1979年(昭和54年)5月:高架化工事着手[6]。
- 1982年(昭和57年)9月12日:国道309号との立体交差化に伴う高架化工事が完了[7]。
- 2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」使用開始[8]。
駅構造
単式1面1線ホームの高架駅。棒線駅のため、河内長野行きと大阪阿部野橋方面行きの列車が同一ホームに発着する。改札口は地上にあり、古市寄りの1か所のみ。ホーム有効長は5両分。
なお、高架化は南側の国道309号との交差のためで、除去された踏切も1箇所だけ、駅自体も単式ということで、大阪府との協議により工事の際の近鉄側の負担比率は通常の半分(当時、7%のところを3.5%とした)であった[9]。
かつて2019年迄、毎年8月1日に行われたPL花火芸術大会の際には、高架ホームでの花火大会見物を禁止した。その為に花火大会開催当日のホームは、駅員や警備員を配置していた(但し2020年以降、新型コロナウィルス感染拡大の影響により、2022年現在も花火大会の開催は休止中である)。
のりば
利用状況
- 2022年11月8日:3,470人
- 2021年11月9日:3,577人
- 2018年11月13日:3,830人
- 2015年11月10日:3,760人
- 2012年11月13日:3,631人
- 2010年11月9日:3,634人
- 2008年11月18日:3,953人
- 2005年11月8日:4,211人
駅周辺
- すばるホール
- 富田林市立総合福祉会館
- 大阪南農業協同組合(JA大阪南)本店
- 錦織神社
- 富田林市立川西小学校
- 富田林市立小金台小学校
- 富田林市立第二中学校
- 富田林市立明治池中学校
- 石川
- 国道170号
- 国道309号
隣の駅
脚注
- ^ a b 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1911年8月29日(国立国会図書館デジタル化資料)による。近畿日本鉄道『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』2010年12月、685頁では8月1日開業。
- ^ a b c 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 3号 近畿日本鉄道 2、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月29日、26-27頁。ISBN (978-4-02-340133-4)。
- ^ 「地方鉄道停留場廃止」『官報』1920年4月21日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「地方鉄道停留場設置並哩程異動」『官報』1920年9月17日(国立国会図書館デジタル化資料)による。近畿日本鉄道『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』2010年12月、685頁では8月。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、27頁。ISBN (978-4-10-790026-5)。
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、379頁。(全国書誌番号):(21906373)。
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、379,872頁。(全国書誌番号):(21906373)。
- ^ (pdf)『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日2016年3月7日閲覧。 。
- ^ 加藤新一(鉄道史研究会・会員)「近鉄の歴史を読む」『鉄道ピクトリアル』No. 569臨時増刊号「特集・近畿日本鉄道」、電気車研究会、1992年12月、pp. 226。
- ^ a b “近畿日本鉄道|駅の情報|川西”. www.kintetsu.co.jp. 近畿日本鉄道. 2019年3月3日閲覧。
- ^ 近鉄長野線 一日乗降人員 - 近畿日本鉄道
関連項目
外部リンク
- 駅の情報|川西 - 近畿日本鉄道