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崇徳院 (落語)

崇徳院(すとくいん)は、古典落語の演目の一つ。東京落語における皿屋(さらや)、花見扇(はなみおうぎ)についてもこの項目で記述する。

概要

小倉百人一首77番の崇徳院和歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」(詞花和歌集・恋上。意=傾斜のために速くなり、岩に当たって二手に分かれている川の流れが、やがてひとつに合流するように、今別れ別れになっているあなたとも、またいつか逢いたいと思っています)を題材にした、町人の恋模様を描いた滑稽噺。初代桂文治の作といわれ[1]、後世に改作を繰り返し現在の形になったとされる。江戸落語にも「皿屋」「花見扇」という崇徳院とほぼ同一の噺がある[1](ただし、登場人物や道具などのディテールが異なる)。また、五代目三遊亭円生の速記本では、人情噺「三年目」の発端部分として演じられており、「三年目」の発端が独立したものという説もある[1]

30分程度を要する大ネタであるため、寄席では、プログラムの時間配分の関係上、若手の落語家は演じることができない。独演会などの落語会で、中入り前やトリの演目として出されることが多い。

主な演者

物故者

現役

あらすじ

大まかな設定は上方の『崇徳院』に準じる。

商家の若旦那(上方では作次郎)が食欲と体力を失い、重病になった。親旦那は、医者から「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治るが、放っておくと5日もつかどうか」と言われ、男(若旦那と親しい出入りの職人・熊五郎あるいは、若旦那の幼なじみの、名前が設定されない男。以下「熊五郎」で統一)を店に呼びつけ、「座敷へ行って、若旦那に『思いごと』を聞き出して来い」と命ずる。若旦那は消え入りそうな声で、熊五郎に以下のような事情を告げる。

20日ほど前、若旦那が寺社(上方では「高津さん」。東京では「(上野の清水さん)」)へ参詣し、茶店で休んでいると、「歳は十七八の、水のたれるような」美しい娘が店に入って来る。娘を見た若旦那は、娘に一目ぼれをしてしまう。娘は茶店を出るために立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗を落とし、気づかず歩き出してしまう。若旦那が急いで拾い、追いかけて届けると、娘は(料紙)(あるいは短冊)に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し、去って行く。若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れいたしますが、いずれのちにお目にかかれますように」という意志を読み取ったが、娘がどこの誰なのかわからないので、会うことがかなわずに困っている。

熊五郎はこの事情を、親旦那に報告する。親旦那は「3日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を5軒ゆずり渡し、借金を帳消しにして、それと別に礼金を支払うから」と熊五郎に懇願する。

熊五郎は、やみくもに街じゅうを走り回るうちに、はじめの2日間を無駄にしてしまう。熊五郎の妻はあきれ、「人の多く集まる風呂屋床屋で『瀬をはやみー』と叫んで反応を見ればいい」と提案し、「娘を探し出せなければ、実家へ帰らせてもらう」と言い放つ。熊五郎は街じゅうの床屋に飛び込んでは「瀬をはやみー」と叫ぶが、客がひとりもいなかったり、ある客の「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、高津神社にも足しげく通っている」という話を聞くうちに幼い子供であると判明したりするなどして、結局有力な手がかりが得られないまま日暮れを迎える。

数十軒の床屋をめぐるうち、剃れる髪もひげもなくなった熊五郎は、次に入った床屋の店主に「いっそ(植えて)ほしい」と悲鳴をあげ、空いた席で一服する。そんな中、ひとりの職人風の男が、「急ぎで頼む」と割り込んでくる。男は「出入りしている店の娘が重い恋わずらいになり、今日明日とも知れぬ身だ。お茶の稽古の帰りに神社の茶店へ立ち寄った際、さる若旦那に気を取られて茶帛紗を忘れ、その若旦那に届けてもらったとき、あまりの名残り惜しさに、崇徳院の歌の上の句を書いて手渡して以来、枕が上がらなくなったそうだ。自分は、娘の父親から『店じゅうの者でその若旦那を捜し出してくれ。はじめに見つけた者には大金を与える』と命じられたひとりで、これから遠方(上方では紀州方面、東京では東海道方面など)へ行くのだ」と店主や常連客たちに語って聞かせる。これを聞いた熊五郎は男につかみかかり、「やっと見つけた。お前の出入り先の娘に用があるのだ。うちの店へ来い」と叫ぶ。すぐに店へ戻って褒美がもらいたい男は「いや、先にこっちの店へ来い」と言い返し、つかみ合いになる。はずみで床屋の鏡が床に落ちて割れてしまい、店主が「折角お互いの探し人が見付かったというのに、この損をどうしてくれる」と怒る。熊五郎は、「割れても末(=月末)に 買わんとぞ思う」

バリエーション

  • 「花見扇」は、恋のきっかけの舞台が上野あるいは飛鳥山での花見で、それぞれの同行者である丁稚同士の喧嘩を仲裁した若旦那が「瀬をはやみ」の書かれた扇子を受け取って恋の病にかかる。サゲは、主人公が若旦那を探す男につかみかかり、男が「放せ」と叫んで、主人公が「はな(放=離)さない、合わせてもらうんだ」と言うものである(上の句の読み札と下の句の取り札を合わせる(百人一首かるた)にちなむ)。
    • 10代目金原亭馬生は、「崇徳院」の演題で、若旦那が花見で扇を受け取るという演じ方を取った。
  • 「皿屋」では、ラストは皿屋で水壺あるいは花瓶を割ってしまう、という演じ方となる。
  • 東京の「崇徳院」では、茶帛紗のシーンが省略され、若旦那の前に木に吊るしてあった短冊が落ちてきて、そこに崇徳院の歌が書かれてあった、という演じ方をとることもある。
  • 東京の3代目桂三木助は、床屋の客が若旦那の捜索を語るシーンで、娘の父親の店の店員が全国に散っていく様子を「きのう北海道代表が、けさ九州代表が発ちました。あっしは四国代表でね」「まるで都市対抗だね」と表現する、当世風のクスグリを創作した。
  • 上方では鏡が割れるシーンを省略する演じ方がある。
    • 「あんたのとこの若旦那は、人徳(にんとく)のある方ですなあ」と感心する床屋に、「ニントク(=仁徳)があるはずや。見初めたんが高津さんや」とサゲるもの(高津宮の祭神は仁徳天皇である)。
    • つかみ合いのシーンを演じつつ、「めでたく一対の夫婦(めおと)が出来上がります。崇徳院という、おめでたいおうわさでした」などと言って終えるもの(2代目桂枝雀など)。

エピソード

また、鏡が割れて地口を言う、というサゲが納得できなかった5代目松鶴は、「上方はなしを聴く会」でサゲを変えて演じたところ、客から苦情が来て、その後4代目米團治と、サゲをどうするべきかで熱い議論になった。
  • 2代目桂春蝶はこの噺を得意としたが、自身はサゲが気に入らず「噺そのものはええのにサゲがあかん[要出典]」とこぼしていた。

脚注

  1. ^ a b c 興津要『古典落語』講談社、2002年12月、281頁。 

関連項目

外部リンク

  • 【上方落語メモ第三集】崇徳院
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