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経歴
寛政3年(1791年)3月10日、一門垂水家島津貴品の子として垂水に生まれる。幼名は小源太。寛政11年(1799年)、藩主島津斉宣の加冠で元服する。
文化3年(1806年)3月、藩主斉宣の命で、斉宣の八男謙次郎を養子に迎えるも、翌年夭折する。文化6年(1809年)、重富島津忠救の娘・お喜佐(母は10代貴澄の娘・お道)と結婚する。
文化9年(1812年)に発行された祖父貴澄の漢詩集『廃簏詩稿(はいろくしこう)』の付録に、父貴品や貴明(貴柄)の挽詩集が収録されている。また同年、末川久救(末川周山、9代貴儔の庶子)の編纂した歌集「浪の下草」に正室お喜佐の和歌が収録されている。
文政2年(1819年)、通称を長門と改める。天保2年(1831年)3月28日、隠居して家督を実子の貴典に譲る。天保4年(1833年)10月4日、死去。享年43。
脚注
参考文献
- 『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年
参考サイト
- 西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース
- 鹿児島大学図書館報「南風」