島津 忠持(しまづ ただもち)は、日向国佐土原藩9代藩主。島津宗家の島津重豪の従弟であり、義理の甥である。幼名は勝丸。通称は又之進。官位は従五位下、淡路守。
生涯
明和3年(1766年)6月29日、第8代藩主・島津久柄の三男として生まれる。天明5年(1785年)5月23日、父の隠居により跡を継ぐ。寛政5年(1793年)に幕府に対して海防の意見書を出している。藩財政再建のために藩士の知行のうち半分を3ヵ年上納させた。また、藩士に崎門学派の儒者(御牧直斎)のもとで学ばせた。文化13年(1816年)、長男・忠徹に家督を譲って隠居した。文化14年4月、全国諸山での修行を終えた野田泉光院と会見する。天保2年(1831年)1月26日に死去した。享年66。
系譜
父母
正室
子女
- 島津忠徹(長男)生母は雅姫(正室)
- (小川久徳)(次男)
- (島津久業)(三男)