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梅窓夫人(ばいそうふじん、文明4年(1472年)[1] - 大永5年10月10日(1525年10月26日))は、戦国時代の女性。
生涯
新納氏4代当主(新納忠治)の三男・新納是久の娘として生まれる。
伊作氏第9代当主・伊作善久に嫁ぎ、一男菊三郎(島津忠良)ほか二女をもうける。しかし、父・新納是久が舅・伊作久逸方となり(飫肥川原合戦)で戦死し、夫・善久が家来に撲殺され、続いて舅の久逸も加世田の合戦で戦死、伊作氏は当主他有力者のほとんどを喪い、一時的に梅窓夫人が当主代行的な立場を担った。その後、梅窓夫人に惚れ込んだ田布施の領主島津運久(相州家)の求婚を受け、菊三郎を相州家と伊作氏との家督を継ぐ養嗣子として迎え入れることを条件に再婚する。息子・菊三郎(忠良)に伊作海蔵院の頼増と自分の甥にあたる新納忠澄を志布志より呼びよせた。
法名は「梅窓妙芳大姉西福寺殿」。
脚注
外部リンク
- 朝日日本歴史人物事典『(常盤)』 - コトバンク