島崎 正樹(しまざき まさき、天保2年5月4日(1831年6月13日 - 明治19年(1886年)11月29日)は、幕末の国学者。小説家島崎藤村の父で、「夜明け前」の主人公「青山半蔵」のモデルとなった人物である。号は
人物
中山道馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる(島崎吉左衛門重韶)の子として生まれ、長じて家督を継ぐ。中津川宿の問屋役であった間秀矩(はざま ひでのり)に国学を学び、また中津川の医師馬島靖庵に皇学・漢学を学び、文久3年(1863年)に秀矩の紹介で平田篤胤の没後門人となる。また自ら馬籠に私塾を開いて子弟に教授した。安政5年(1858年)以降3度にわたり村内の火災に際して窮民の救恤に奔走して尾張藩から賞された。
明治2年(1869年)から木曽谷の官有山林の地元への解放運動に奔走するが、同5年(1872年)に戸長を罷免される。同7年(1874年)、上京して教部省考証課雇員として出仕するが、同年、明治天皇の輿に憂国の歌を書き記した扇子を投げたことで、不敬罪に問われた。同8年(1875年)岐阜県水無神社の宮司となり、権中講儀を兼ねるが、同13年(1880年)に辞職して帰郷した。同年、天皇の北陸地方巡幸に際し、憂国の建白を試みて叱責されるなど、挫折をくり返した末に発狂し、家内の座敷牢の中で死去した。
参考文献
- 『日本人名大辞典』 講談社、2001年
- 『朝日日本歴史人物事典』 朝日新聞出版、1994年