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岩瀬浜駅

岩瀬浜駅(いわせはまえき)は、富山県富山市岩瀬天神町にある、富山地方鉄道富山港線である。同線の終点。駅番号C39

岩瀬浜駅*
ホーム(2021年4月)
いわせはま
Iwasehama
C38 競輪場前 (0.4 km)
所在地 富山県富山市岩瀬天神町
北緯36度45分41.3秒 東経137度14分2.2秒 / 北緯36.761472度 東経137.233944度 / 36.761472; 137.233944 (岩瀬浜駅*)座標: 北緯36度45分41.3秒 東経137度14分2.2秒 / 北緯36.761472度 東経137.233944度 / 36.761472; 137.233944 (岩瀬浜駅*)
駅番号 C39
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 富山港線
キロ程 7.7 km((富山駅)起点)
電報略号 ワセ(転換前)
駅構造 地上駅
(ホーム) 1面1線
乗降人員
-統計年度-
248[1]人/日
-2019年-
開業年月日 2006年平成18年)4月29日[2]
備考 旧駅は1924年7月23日開業、2006年3月1日廃止
(テンプレートを表示)

歴史

 
開業当初の岩瀬港駅

駅構造

LRT化後

単式ホーム1面1線を有する地上駅である[19][2]。また、競輪場前駅方面に保守用側線を有する[19]

富山港線の富山ライトレール移管によりホームは低床ホームに改築されており、旅客上屋等の設備が設けられている[20]。当駅においてはフィーダーバスとの連絡に便宜を図るため、バス停留所がホーム上に設置されている[21]

普通鉄道当時

単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[22]。貨物取扱の行われていた時代には、側線に当駅常備タンク車が留置されており、数本の専用線が接続していた[22]

開業当初の駅は現在地より北西約200メートルに開設されており、東岩瀬港整備計画の策定後にはさらに南の岸壁方面へ延伸させ、旅客および貨物を取扱う大規模な終着駅を建設する計画であった[23]。しかし、この計画は実現をみることなく、1939年(昭和14年)4月に現在地に移転している[24][25]。ただし、旧駅舎所在地へ伸びる線路自体はそのまま貨車留置線として用いられ、富山県道富山魚津1号線には踏切が設けられていたが、貨物取扱の廃止とともにこの線路も撤去された[26]

また、開業当初の駅舎は富岩鉄道が最も多額の費用を投じて完成させたもので、2階には重役の集う会議室などが設けられていた[27]。しかし、移転後の1946年(昭和21年)8月に新たな木造駅舎が新築されている[9]。富山ライトレールへの経営移管後に、1946年(昭和21年)8月竣工の駅舎は解体された[28]

昭和40年代には一日平均2200人の利用者がいたが、以降は漸次減少し、1998年(平成10年)4月からは無人駅となっていた[16]

貨物取扱

 
1975年(昭和50年)9月6日撮影の当駅周辺航空写真

当駅における貨物取扱は、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された[15]

1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった[29]

  • 鉄興社線(通運事業者等:日本通運、動力:移動機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁)
  • 富山造船線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁)

1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[30]

  • 東洋曹達工業線(真荷主:錦商事、通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:1.0粁)
  • 富山造船線(通運事業者等:日本通運、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.2粁)
  • 新日本化学工業線(真荷主:日新苦土肥料、通運事業者等:日本通運及び富山港湾運送、動力:日本通運所有機関車、作業粁程:1.1粁、総延長粁程:0.9粁、備考:同専用線は東洋曹達工業線に接続する。富山港湾運送の取扱う貨物は日新苦土肥料の発着に限る。使用休止。)

利用状況

『富山県統計年鑑』などによると、当駅における各年度の1日平均乗車人員は以下の通りであった[31][32]

年度 一日平均
乗車人員
2006年(平成18年) 446
2005年(平成17年) 220
2004年(平成16年) 198
2003年(平成15年) 212
2002年(平成14年) 228
2001年(平成13年) 248
2000年(平成12年) 305
1999年(平成11年) 319
1998年(平成10年) 355
1997年(平成9年) 402

路線バス

 
岩瀬浜駅前で電車と接続するフィーダーバス

富山ライトレール富山港線の開業に合わせ、当駅からはフィーダーバスと称する富山ライトレールの自動車線が浜黒崎方面に向け運行されている[2][33][34]。元々富山地方鉄道は富山港線に並行する形で乗合自動車を運行していたが、同社は富山ライトレール富山港線の開業によりこれを廃止し、富山ライトレールよりその自動車線の運行を受託して運行を行った(2020年富山ライトレールの合併に伴い富山地方鉄道の直営事業へ移行)[20]。同自動車線は2006年(平成18年)8月28日から水橋漁港方面へ延伸され、その際住宅地を経由するルートに変更されたが[35][36]、2007年(平成19年)3月からは住宅地経由を廃止し、当駅と水橋漁港方面を直線的に結ぶ経路に改正された[37]

ほかに射水市コミュニティバス海王丸パーク・ライトレール接続線が土日祝日に限り、当駅と新湊大橋西桟橋口間を連絡していたが、2021年9月30日をもって廃止された。

鉄道むすめ

富山ライトレールの鉄道むすめとなっている岩瀬ゆうこの氏名は、当駅駅名と同社マスコットキャラクターとれねこのゆうくんおよびここくんに由来している[38]。岩瀬ゆうこのイラストは、富山ライトレール富山港線の各駅及び各停留場において交通道徳の向上や受傷事故防止などを訴えるために掲出され、あるいは富山ライトレールの列車車体にラッピングが行われるなどの活用がなされている[39][40][41][42]

駅周辺

隣の駅

富山地方鉄道
富山港線
競輪場前駅 (C38) - 岩瀬浜駅 (C39)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “富山県 駅乗降客数”. 2021年4月19日閲覧。
  2. ^ a b c d 川島 2010, p. 86.
  3. ^ a b c d e f g 朝日 2011, p. 18.
  4. ^ 『官報』(71頁)、1924年(大正13年)8月5日、内閣印刷局
  5. ^ a b 石野哲輔、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』(163頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
  6. ^ a b c 土居靖範、「JR富山港線のLRT転換と課題(上)」、『立命館経営学』第43巻6号所収、2005年(平成17年)3月、立命館大学
  7. ^ a b c 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(35頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
  8. ^ a b 昭和18年鉄道省告示第119号(『官報』第4907号、1943年(昭和18年)5月25日、大蔵省印刷局)
  9. ^ a b 金沢鉄道管理局編、『北陸線のあゆみ』(8頁)、1969年(昭和44年)10月、金沢鉄道管理局
  10. ^ 石野哲輔、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』(162頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
  11. ^ 昭和37年12月21日日本国有鉄道公示第625号(『官報』、1962年(昭和37年)12月21日、大蔵省印刷局)
  12. ^ 「富山造船への引き込み線開通」、『北日本新聞』(3面)、1967年(昭和42年)12月29日、北日本新聞社
  13. ^ 「専用引込み線完成 新日化富山工場が岩瀬浜駅から」、『北日本新聞』(4面)、1971年(昭和46年)6月24日、北日本新聞社
  14. ^ 昭和49年9月12日日本国有鉄道公示第208号(『官報』、1974年(昭和49年)9月12日、大蔵省印刷局)
  15. ^ a b 昭和59年1月30日日本国有鉄道公示第174号(『官報』、1984年(昭和59年)1月30日、大蔵省印刷局)
  16. ^ a b 「一時停車とやまの駅 岩瀬浜」、『北日本新聞』(23面)、1998年(平成10年)11月28日、北日本新聞社
  17. ^ . 日本経済新聞. (2020年2月21日). オリジナルの2020年2月22日時点におけるアーカイブ。. 2020年2月22日閲覧。 
  18. ^ . 日本経済新聞. (2019年10月1日). オリジナルの2019年10月5日時点におけるアーカイブ。. 2020年2月20日閲覧。 
  19. ^ a b 川島 2010, p. 18.
  20. ^ a b 室哲雄、「日本初の本格的なLRTの導入・その成果と今後の展開――富山県富山市――」、『IATSS review』第34巻2号所収、2009年(平成21年)8月、国際交通安全学会
  21. ^ 折戸厚子、「プロジェクト紹介 富山ライトレール」、『CREC』第156号所収、2006年(平成18年)9月、中部開発センター
  22. ^ a b 相賀徹夫、『国鉄全線各駅停車7 北陸・山陰510駅』(173頁)、1984年(昭和59年)1月、小学館
  23. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(28頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  24. ^ 土居靖範、「JR富山港線のLRT転換と課題(上)」、『立命館経営学』第43巻6号所収、2005年(平成17年)3月、立命館大学
  25. ^ 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』(42頁)、2006年(平成18年)5月、TC出版
  26. ^ 草卓人、『富山廃線紀行』(31頁)、2008年(平成20年)8月、桂書房
  27. ^ 草卓人編、『鉄道の記憶』(475頁)、2006年(平成18年)2月、桂書房
  28. ^ 松尾定行、『消えた駅舎 消える駅舎』(82及び83頁)、2012年(平成24年)4月、東京堂出版
  29. ^ 日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』(213頁)、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局
  30. ^ 名取紀之編、『トワイライトゾ~ン・マニュアル6』(『Rail Magazine』別巻)第14巻第17号、1997年(平成9年)10月、ネコ・パブリッシング
  31. ^ 『個別公共事業の評価書―平成18年度―』、2005年(平成17年)3月、国土交通省
  32. ^ 統計年鑑 - 富山県
  33. ^ 朝日 2011, p. 17.
  34. ^ 「浜黒崎・四方 フィーダーバス ライトレールと結ぶ 近隣住民も便利に」、『北日本新聞』(18面)、2006年(平成18年)4月30日、北日本新聞社
  35. ^ 「富山ライトレールの支線バス 住民要望のルート試行 今月末から」、『北日本新聞』(35面)、2006年(平成18年)8月18日、北日本新聞社
  36. ^ 「富山港線フィーダーバス 新ルート誕生祝う 水橋地区アクセス向上」、『北日本新聞』(25面)、2006年(平成18年)8月29日、北日本新聞社
  37. ^ 「富山ライトレールの支線バス 再び直線ルートに 団地経由は「不便」」、『富山新聞』(31面)、2007年(平成19年)2月15日、富山新聞社
  38. ^ PL02 岩瀬ゆうこ - トミーテック
  39. ^ 「岩瀬ゆう子が「ルール守って」 富山ライトレールのマスコット 全電停にイラスト掲示」、『富山新聞』(26面)、2016年(平成28年)11月15日、富山新聞社
  40. ^ “ポートラムに「鉄道むすめ」のラッピング電車”. 北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ(北日本新聞). (2015年9月15日). https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000004070 2021年5月2日閲覧。 
  41. ^ “富山ライトレールに「鉄道むすめ」のラッピング…キャラクターは「岩瀬ゆうこ」 8月10日から”. Response.. (2017年8月9日). https://response.jp/article/2017/08/09/298476.html 2021年5月2日閲覧。 
  42. ^ . 朝日新聞デジタル. (2018年1月12日). オリジナルの2018年1月13日時点におけるアーカイブ。. 2021年5月2日閲覧。 

参考文献

  • 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編 『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』 TC出版プロジェクト、2006年、ISBN (4-916181-21-2)、32-34頁、61-62頁。
  • 川島令三『【図説】日本の鉄道中部ライン 全線・全駅・全配線 第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』講談社、2010年10月20日。ISBN (978-4-06-270067-2)。 
  • 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄19 富山地方鉄道 富山ライトレール・万葉線 黒部峡谷鉄道・北越急行』朝日新聞出版、2011年7月24日。 

関連項目

外部リンク

  • 岩瀬浜駅 時刻予定表 (PDF) - 富山地方鉄道
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