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岡部 長修(おかべ ながなお)は、江戸時代中期の大名。和泉国岸和田藩7代藩主。官位は従五位下(美濃守)、(駿河守)。岸和田藩岡部家8代。
略歴
5代藩主・岡部長著の四男として岸和田にて誕生。幼名は鍋吉。
兄で先代藩主の岡部長住の実子のほとんどが早世したため、明和8年(1771年)11月28日に兄の養嗣子となり、明和9年(1772年)4月23日の長住の隠居により跡を継いだ。同年8月、村方に3か条触書を発布し、改元後の同年、安永元年12月に24か条の触書を発布し、後年岸和田藩の農政の模範とされた。兄と同じく病弱だったことから、安永5年(1776年)8月18日に長男の長備に家督を譲って隠居した。