岡本 一巳(おかもと かずみ、1881年(明治14年)12月[1] - 1947年(昭和22年)11月19日[1])は、日本の政治家、実業家。
経歴
岩手県盛岡市出身。明治大学卒業。実業界に進み、盛岡新聞社を創設した他、岩手銀行支配人、扶桑新聞社政治経済部長、大阪新報社政治部長兼外交部長などを歴任。1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に栃木県第二区で立憲政友会から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[1]。帝人事件は、1934年2月の衆議院本会議で、岡本が台湾銀行の所有株売却に関し政府を追及したことがきっかけになったものである。
脚注
参考文献
- 『政界を爆撃す』大文社、1934年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。