概要
山陰線の全通が経済の活況をもたらし、それが金融界に反映した事例として、米子における新しい銀行、株式会社山陰実業銀行の設立を挙げることができる。明治45年(1912年)6月中部地区の奨恵合資会社銀行部が独立して、資本金を一挙に八倍とし株式会社に組織変えをするという事例もあり、県下の銀行支店数も明治45年(1912年)の14店が翌年には31店に増加するという動きもあった。このような動きの中で大正元年(1912年)12月資本金50万円で本行が設立された((法勝寺町)五十二番地)。
設立当初の主な役員は、頭取三好栄次郎、専務取締役後藤快五郎、取締役原本大三郎、(門脇繁次郎)、石原以波保、(小川貞四郎)、近藤順一郎らであった。
参考文献
- 『米子商業史』 1990年 158頁