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生涯
(山岡正恒(市太郎、藤十郎))の子[2]。三河を本国とする山岡氏は藤原氏の支流を称し、家祖の(正利(市平))は徳川綱吉が延宝8年(1680年)に将軍家に入った時に御家人の列に加えられた[3]。百俵二人扶持で、小十人を務めた[2]。高橋包承(儀左衛門)の娘の文子を妻とした。早くに死去し、家督は長男の(正視(紀一郎))が継いだ。正業の次男の謙三郎(高橋泥舟)は高橋家に養子に出ていたため、安政2年(1855年)に正視が死去するとその弟の信吉が家督を継承し[2][4]、信吉の後は正視の門人であった小野高歩(鉄太郎)が正業の娘の英子(ふさこ、信吉の妹)と結婚して山岡家の婿養子となった(山岡鉄舟)[2]。
出典
参考資料
- 続群書類従完成会 編『新訂寛政重修諸家譜』 22巻、八木書店、1966年。(ASIN) B00N7RHE2A。ISBN (978-4797102260)。
- 熊井保・大賀妙子 編『江戸幕臣人名事典』 4巻、小西四郎監修、新人物往来社、1990年11月。ISBN (978-4404016287)。
- 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典』 5巻、東洋書林、1998年5月。ISBN (978-4797102260)。
- 歴史群像編集部 編『全国版幕末維新人物事典』学研パブリッシング、2010年3月3日。ISBN (978-4054044630)。