生涯 父は北条氏康。
婚姻は元服[注釈 2]の可能性が高いとされている。この婚姻時期は、天文23年(1554年)7月に次いで氏康の娘では早い。 『小田原編年録』所収系図では尾崎殿と注記してあるが、その由来については不明。
親胤死去にともない、小田原に戻ったとみられるが、そうした動向を伝えるものはまったくない。
円妙院について 氏政の妹とされる人物で動向が不明な者に円妙院がいる。
『北条家過去帳』には慶長9年(1604年)4月30日に逆修しており、その時点で生存していたこと、法名を円妙院殿明庵宗勝大姉といったことがわかる。
これが尾崎殿に当たる可能性もある。
脚注参考文献 - 黒田基樹『北条早雲とその一族』新人物往来社、2007年7月。ISBN (978-4-404-03458-8)。
- 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚から見る戦国大名』平凡社〈中世から近世へ〉、2017年12月。ISBN (978-4-582-47736-8)。
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