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尾上辰之助 (初代)

初代 尾上 辰之助(しょだい おのえ たつのすけ、1946年昭和21年)10月26日 - 1987年(昭和62年)3月28日)は、昭和俳優歌舞伎役者。屋号音羽屋定紋は(四ツ輪に抱き柏)、替紋は(藤輪に花菱)。日本舞踊藤間流家元・五代目藤間勘右衛門も兼ねた。本名は藤間亨(ふじま とおる)。

初代 尾上おのえ 辰之助たつのすけ
屋号 音羽屋
定紋 四ツ輪に抱き柏 
生年月日 1946年10月26日
没年月日 (1987-03-28) 1987年3月28日(40歳没)
本名 藤間亨
襲名歴 1. 初代尾上左近
2. 初代尾上辰之助
3. 三代目尾上松緑(追贈)
別名 五代目藤間勘右衛門(舞踊)
出身地 東京
二代目尾上松緑
四代目尾上松緑
当たり役
歌舞伎:
『(蘭平物狂)』の奴蘭平 実ハ 伴義雄
暗闇の丑松』の暗闇の丑松
テレビ:
『池田大助捕物帳』の池田大助
草燃える』の後鳥羽天皇
徳川家康』の伊達政宗

三之助のひとりとして人気を集め、父・二代目尾上松緑の後継者として期待されたが、1987年に40歳で早世した。

その死から14年後の2001年3月28日の命日に長男の二代目尾上辰之助が四代目尾上松緑を襲名するにあたり、三代目尾上松緑を追贈された。

来歴

人物・エピソード

  • 当時の歌舞伎界において屈指の酒豪として有名で、青年時代にはウイスキーのボトルを1本丸々空けた逸話もある。だが自身は繊細な性格かつ父・二代目松緑の存在はプレッシャーだったことが伺え、それらを紛らわせるために酒を飲んでいたことが考えられる。結果的にこの酒飲みが自身の病をもたらし、最期は肝硬変によって若くして命を落とすこととなってしまった。
  • 『二代目 聞き書き 中村吉右衛門』には、1972年の『勧進帳』の際のエピソードが、二代目吉右衛門の思い出とともに紹介されている。
“弁慶は八日間交代で辰之助、吉右衛門、海老蔵の順であった。
「年上の僕が後になったものだから、亨(辰之助)が気を使い、『大変なものは先にやった方がいいんだよ』なんてわざと言っていた。こっちが気を悪くしているんじゃないかと心配していた。そういう気の優しい男でした」”[1]

主な出演作

歌舞伎の当たり役

演劇

テレビ

ほか多数

脚注・出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 小玉祥子著(毎日新聞社)より

外部リンク

  • 歌舞伎俳優名鑑 想い出の俳優篇 / 尾上辰之助(初代) - (歌舞伎 on the web)
  • 尾上辰之助 - NHK人物録
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