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小錦八十吉 (2代)

小錦 八十吉(こにしき やそきち、1887年明治20年)10月15日 - 1943年昭和17年)3月3日)は、山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)出身の元大相撲力士。本名は後藤 鶴松(ごとう つるまつ)。

小錦 八十吉(2代)
基礎情報
四股名 小錦 八十吉
本名 後藤 鶴松
愛称 団子山
生年月日 1887年10月15日
没年月日 (1943-03-03) 1943年3月3日(55歳没)
出身 山形県西村山郡三泉村
(現:山形県寒河江市
身長 166cm
体重 101kg
BMI 36.65
所属部屋 二十山部屋
得意技 突き、押し、右四つ
成績
現在の番付 引退
最高位 小結
幕内戦歴 50勝59敗3分5預13休(50場所)
データ
初土俵 1901年5月場所
入幕 1909年6月場所
引退 1917年1月場所
備考
金星1個(梅ヶ谷藤太郎(2代)
2013年7月9日現在
テンプレート  プロジェクト 相撲

来歴

1887年10月15日山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)で生まれる。上京して二十山部屋へ入門後、1901年5月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身地に因んで「山泉」と名乗った。当初は苦戦して出世まで時間が掛かったが、両國國技館(初代)のこけら落としとなった1909年6月場所で新入幕を果たし、この場所で7勝2敗1預の好成績を収めると、1910年1月場所では梅ヶ谷藤太郎(2代)を破って金星を獲得するなど、上位に通用するまでに力を付けた。

1912年1月場所では小結に昇進すると同時に「小錦 八十吉(2代)」を襲名するが、1916年に師匠・二十山の死去によって二枚鑑札によって年寄・二十山(二十山 弥太夫)を襲名し、部屋を継承した。継承後も土俵を務めるが部屋経営との「二足の草鞋」では身体への負担が大きく、同年1月場所で十両陥落、さらに1917年1月場所で幕下へ陥落したため、現役を引退して年寄専務となった。

現役引退後は千葉ヶ嵜俊治清水川元吉を大関へ、若葉山鐘を関脇まで育成するなど多くの幕内力士を輩出すると共に、勝負検査役や日本相撲協会理事を務めるなど、協会の役職を歴任した。1943年3月3日に急性肺炎のため死去、55歳没。二十山の死によって、弟子は全員が双葉山相撲道場へ移籍した[1]

主な成績

改名歴

  • 山泉 鶴松(やまいずみ つるまつ):1901年5月場所 - 1911年6月場所
  • 小錦 八十吉(2代)(こにしき やそきち):1912年1月場所 - 1916年1月場所
  • 二十山 弥太夫(はたちやま よだゆう):1916年5月場所 - 1917年1月場所(引退)

参考文献

  • 「大相撲力士名鑑」(共同通信社、2011年版)

脚注

  1. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p37

関連項目

外部リンク

  • 小錦八十吉 - 相撲人名鑑
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