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小野城 (美濃国)

小野城(おのじょう)は、岐阜県関市小野と美濃市樋ヶ洞にある日本の城跡(山城)。別名、本城山城栃洞山城。城主は美濃守護代斉藤氏である。築城年代は大永年間(1521年-1528年)前後と言われている。(斎藤宗久)、(斎藤宗祐)が城主と伝わっている。

小野城
岐阜県
別名 本城山城、栃洞山城
城郭構造 山城
築城主 不明
築城年 大永年間(1521年-1528年)?
主な城主 斎藤八郎左衛門宗久
廃城年天文23年(1554年)
遺構 堀切・竪堀・井戸・石垣
指定文化財 史跡未指定[1]
位置 北緯35度32分44.2秒 東経136度57分05.2秒 / 北緯35.545611度 東経136.951444度 / 35.545611; 136.951444座標: 北緯35度32分44.2秒 東経136度57分05.2秒 / 北緯35.545611度 東経136.951444度 / 35.545611; 136.951444
地図
小野城
(テンプレートを表示)
石垣

概要

関市・美濃市境をなす標高423メートルの本城山に立地する[2]。小野城は美濃守護斎藤氏が築いた城であり、規模から判断して、存在価値の高い城郭であった。その後、(小野山合戦)の後廃城になったと伝わる。美濃守護斎藤氏と、斎藤道三の(後斎藤氏)の闘争の関わりが指摘されているが定かではない。

史料

  • 『新撰美濃志』には、小野城は斎藤八郎左衛門宗久が城主とされ、里人の伝えとして天文23年(1554年)に廃城になったと記されている。
  • 西神野村と上有知村との間で山論が起った際の文書史料によると、古城山は当初、大山と呼ばれ、その北之峰に西神野村産土神の不動明王が祀られていた。ここに西神野村の地頭斎藤宗祐が居城を構え、不動明王を移した。その後、廃城となってから貞享3年(1686年)までに159年経過しているという。

現在

堀切竪堀井戸石垣・説明板がある。本曲輪山頂には大きな岩盤が露出しており、景色を一望できる。主郭の岩には説明板が埋め込んである。相当数の曲輪が残存し、至る所に大きな石垣がある。広大な範囲に遺構が広がり、城の規模が大きい。

脚注

  1. ^ 「指定文化財」関市公式HP
  2. ^ 関市文化財保護センター 2019

参考文献

  • 関市文化財保護センター 2019『関市城跡探訪』(「関の城跡めぐり」シリーズ)関市公式HP

関連項目

外部リンク

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