略歴
掛川藩分家で3000石を領した旗本・(小笠原長剛)の次男として誕生。藩祖・小笠原忠知の曾孫にあたる。
享保19年(1734年)12月16日、掛川藩初代藩主・小笠原長煕の養子となったが、元文元年(1736年)12月6日に病気のため生家に戻り、延享2年(1745年)12月27日に家督を継いだ。弟で生家の嫡子だった(知定)が早世したためと思われる。掛川藩嫡子は、藩祖・忠知の兄・小笠原忠脩の子孫である5000石旗本小笠原家から長庸が養子に入り、跡を継いだ。
寛延元年(1748年)4月2日に致仕。明和6年(1769年)7月8日に55歳で死去。法名は禅無。養子の(長儀)(小笠原政登の三男)が跡を継いだ。
参考文献
- 寛政重修諸家譜 巻第百九十