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小倉 元悦(おぐら もとよし)は、戦国時代の武将。毛利氏家臣。父は近江国蒲生郡小椋庄の(八尾城)主の小倉実隆。諱は元実とも。
生涯
天文8年(1539年)、近江国蒲生郡小椋庄の(八尾城)主の小倉実隆の四男[1]として生まれる。
永禄7年(1564年)、分家である小倉西家の(山上城)主の(小倉右京大夫)が延暦寺領であった山上郷の年貢を横領したことから、六角義治の命を受けた父の実隆は小倉西家と戦ったが戦死。この事態に対し、実隆の実父である蒲生定秀が介入して小倉西家を討伐したことで、小倉氏の勢力は衰退した。次兄の行春らは以後蒲生氏家臣となったが、元悦は厳島神主家を頼って安芸国に移り住み、毛利元就に招かれて側近として仕えた。
永禄10年(1567年)4月7日に死去。享年29。元悦に男子はなく、(内藤元方)の三男の元廉が婿養子として家督を相続した。
脚注
- ^ 七男とも。