将軍塚古墳(しょうぐんづかこふん、前山B53号墳)は、和歌山県和歌山市寺内・岩橋にある古墳。形状は前方後円墳。岩橋千塚古墳群(国の特別史跡、うち前山B地区)を構成する古墳の1つ。
将軍塚古墳 | |
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墳丘 (手前に後円部・石室開口部、左奥に前方部) | |
別名 | 前山B53号墳 |
所属 | 岩橋千塚古墳群(前山B地区) |
所在地 | 和歌山県和歌山市寺内・岩橋[1] |
位置 | 北緯34度13分24.40秒 東経135度13分39.33秒 / 北緯34.2234444度 東経135.2275917度座標: 北緯34度13分24.40秒 東経135度13分39.33秒 / 北緯34.2234444度 東経135.2275917度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長42.5m 高さ4m(後円部・前方部) |
埋葬施設 | 後円部:横穴式石室1基 (岩橋型、石棚・石梁付) 前方部:横穴式石室1基(岩橋型) |
出土品 | 銀環・玉類・土器片 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国の特別史跡「岩橋千塚古墳群」に包含 |
地図 | 将軍塚古墳 |
概要
和歌山県北西部、紀の川河口部の和歌山平野の岩橋山塊に営造された岩橋千塚古墳群のうち、岩橋前山(標高150メートル)山頂付近に築造された古墳である[2]。
墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。埋葬施設は後円部・前方部における横穴式石室各1基[2]。特に後円部石室は岩橋千塚古墳群に特徴的な岩橋型横穴式石室で、玄室に石棚・石梁を伴う。石室の高さは4.3メートルと大型で、岩橋千塚古墳群では天王塚古墳(5.9メートル)に次ぐ規模になる[3]。石室はいずれも盗掘に遭っているが、石室内調査において副葬品の一部が検出されている[3]。以上より、築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2][3]。
古墳域は国の特別史跡「岩橋千塚古墳群」のうちに包含して指定されている[2]。現在は史跡整備のうえで後円部石室が公開されている。
墳丘
墳丘の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:42.5メートル
- 後円部
- 直径:21.7メートル
- 高さ:4メートル
- 前方部
- 幅:21.0メートル
- 高さ:4メートル
埋葬施設
埋葬施設としては、後円部・前方部に各1基の横穴式石室が構築されている[2]。石室の規模は次の通り[4]。
- 後円部石室
- 前方部石室
- 玄室:長さ2.4メートル、幅1.9メートル、高さ2.7メートル
後円部石室は両袖式横穴式石室で、南方に開口する。玄室には石棚および石梁1本を有し、羨道にも石梁を有する[4]。玄室床面は羨道床面よりも約20センチメートル低く、川原石が敷きつめられるほか、排水溝が構築される[2]。また羨道は扉石2枚で閉塞される[2]。この石室内からは銀環・水晶製平玉・ガラス製小玉・梔子玉・須恵器・土師器が検出されている[2]。現在は石室内部が公開されている。
前方部石室では、玄室に石棚を有するが石梁はない[4]。この石室内からはガラス製小玉・須恵器・馬具が検出されている[3]。こちらは現在は公開されていない。
玄室 上方
最上奥に天井石、上に石梁、下に石棚。玄室 奥壁
上に石棚。玄室 玄門
奥に玄室前道・羨道。羨道(玄室方向)
奥に玄室前道・玄室。羨道(羨門方向)
奥に羨門扉石。羨門
扉石の奥に羨道。開口部
関連施設
- 和歌山県立紀伊風土記の丘(和歌山市岩橋)
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 丹野拓・米田文孝『紀国造家の実像をさぐる 岩橋千塚古墳群(シリーズ「遺跡を学ぶ」126)』新泉社、2018年。ISBN (9784787718365)。
関連項目
外部リンク
- 岩橋千塚古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 将軍塚古墳(遺跡)、将軍塚古墳(文化財) - 和歌山市教育委員会「和歌山市の文化財」