富田林興正寺別院(とんだばやしこうしょうじべついん)は、富田林市富田林町にある真宗興正派の寺院。永禄初年(1558年)頃建立[4]。富田林寺内町の中核寺院である。
歴史
寺伝によると、応永年中(1394年~1412年)に毛人谷村(えびたにむら)小字古御坊に草創された一向宗道場が前身とされる[5][6]。永禄年間初頭(1560年前後)に興正寺第16世(証秀)が「富田の芝」と呼ばれた荒地を境内地として買いうけ、周辺4村の庄屋8人とともに富田林寺内町を開発し、当寺を建立した[7]。
証秀の祖父である興正寺第14世蓮教は、かつての法名を経豪といい、畿内を中心に多くの門徒を抱える佛光寺の住持であった[8]。文明13年(1481年)頃に本願寺へ帰参したが、多くの門徒・末寺を引き連れて佛光寺を去り、山科に興正寺を再興した。蓮教は、本願寺第11世顕如とともに河内地方の教化に努めた[9]。証秀の父である興正寺第15世蓮秀のとき、(天文の錯乱)によって山科の本願寺・興正寺がともに焼亡すると、興正寺は大阪の天満へ移った。蓮秀は、細川晴元と本願寺の和解に奔走した功によって、本願寺の一家衆に加えられた[10]。証秀が34歳で病死したあと、顕如の次男で証秀の養子に入っていた顕尊が興正寺第17世となり、永禄12年(1570年)に正親町天皇より興正寺を脇門跡とする勅許を受けた[11]。
『郷土史の研究』によれば、当寺は初め「興正寺掛所」と称し、後に「興正寺門跡兼帯所」となり、本山興正寺の西本願寺からの独立に伴って1880年(明治13年)に「興正寺別院」に改称したとされる[12]。俗に、富田の御堂または御坊という[12]。『河内名所図会』には「興正寺の輪番所」とあり、本山興正寺門主が当寺の住職を兼任し、当寺には本山から派遣された留守居がおかれた[1]。現在は、本山興正寺住職の一族が当寺の住職を務めている。
境内
文化財
重要文化財(国指定)
以下の建造物が「富田林興正寺別院 6棟」として国の重要文化財に指定されている(2014年9月18日指定)[15]。
- 本堂 - 桁行18.3m、梁間18.7m、入母屋造、向拝三間、本瓦葺。寛永15年(1638年)建立[16]。
- 対面所 - 桁行16.8m、梁間6.3m、切妻造、正面唐破風造玄関付、本瓦及び桟瓦葺 渡廊下附属、桟瓦葺。安政3年(1856年)建立[16]。
- 鐘楼 - 桁行一間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺。文化7年(1810年)建立[16]。
- 鼓楼 - 桁行5.0m、梁間4.0m、二重、入母屋造、本瓦葺。18世紀後半頃の建立、文化7年(1810年)現在地に移築[16]。
- 山門 - 一間(薬医門)、切妻造、南北潜戸付、本瓦葺。京都興正寺北門を安政4年(1857年)現在地に移築。伏見城の遺構との伝承があり、現存する山門には城門の遺構らしき部材も含まれるが、古材を一部再用して江戸時代初期に建立されたものとみられる[16]。
- 御成門 - 一間棟門、切妻造、本瓦葺、南北袖築地塀付、桟瓦葺。18世紀前半頃の部材を含む、安政4年(1857年)頃移築[16]。
- (附指定)築地塀(山門南、山門北、御成門北)[16]
ギャラリー
山門
御成門
鐘楼
対面所
鼓楼
雨蓋瓦
脚注
出典
- ^ a b 富田林興正寺別院伽藍総合調査報告書, p. 34.
- ^ 興正寺史話【三十六】「了明尼公 その一」
- ^ 興正寺史話【四十四】「光教上人 その一」
- ^ 近畿地方の近世社寺建築 5, p. 336.
- ^ 富田林興正寺別院伽藍総合調査報告書, p. 16.
- ^ 寺内町の研究 第3巻, p. 349.
- ^ 富田林市史 第2巻, p. 316.
- ^ 興正寺史話【五十一】「経豪上人」
- ^ 富田林興正寺別院伽藍総合調査報告書, p. 11.
- ^ 富田林市史 第2巻, p. 332.
- ^ 富田林市史 第2巻, p. 334.
- ^ a b 郷土史の研究, p. 83.
- ^ 田中 1991.
- ^ 富田林興正寺別院伽藍総合調査報告書, pp. 25–27.
- ^ 平成26年9月18日文部科学省告示第131号
- ^ a b c d e f g 文化庁文化財部 2014.
参考文献
- 村上訒一、亀井伸雄、兵庫県教育委員会奈良市史編集審議会『近世社寺建築調査報告書集成 第13巻 近畿地方の近世社寺建築 5(大阪・兵庫)』東洋書林、2003年。ISBN (4862590772)。
- “大阪府所轄の宗教法人”. 大阪府 (2016年4月13日). 2016年7月23日閲覧。
- 林野 全孝/他『富田林寺内町歴史的町並み保全計画調査報告書』富田林市、1984年。(全国書誌番号):(85032128)。
- (田中敏雄)「続・障壁画の旅7 興正寺別院(富田林市)の障壁画 - 狩野寿石秀信」『日本美術工芸』第634巻、日本美術工芸社、1991年7月、18-26頁、ISSN 09119221。
- 富田林興正寺別院伽藍総合調査委員会 編『富田林興正寺別院伽藍総合調査報告書』富田林興正寺別院、2012年。(全国書誌番号):(22202236)。
- 文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』第611巻、第一法規出版、2014年6月、14-16頁、ISSN 00165948。
- 南河内郡東部教育会 編『郷土史の研究』南河内郡東部教育会、1926年。(全国書誌番号):(43052380)。
- 富田林市史編集委員会 編『富田林市史 第2巻 (本文編 2)』富田林市、1998年。(全国書誌番号):(98075887)。
- 峰岸純夫、脇田修 著、大澤研一/仁木宏 編『寺内町の研究 第3巻』法藏館、1998年。ISBN (4831875201)。
- “興正寺史話”. 真宗興正派 本山興正寺. 2016年7月30日閲覧。